イスラエルに住んでいる人の日記

さっき、エルサレムのブックフェアについて検索していて見付けた。すごく複雑な気分になる。すごくすごく。

この女性のバックグラウンドについては良くわからない。どうやらイスラエルの大学で日本語を教えている人らしく、徴兵されて軍隊にいる息子さんと、高校生で近い将来徴兵されるはずの娘さんがおられる。配偶者の方は、多分ユダヤ人なのだと思うが、はっきりしない。そして、どうでもいいことだが、本文には改行がほとんどない。
非日常の国イスラエルの日常 http://www.geocities.jp/mikayamamori/diary.html

たとえば、2009年1月21日の項は、僕が想像する「通俗的イスラエルシンパ」のような文章だ。

問題は根本的には何も解決されていないのだが、とりあえず欧米の関心をハマスの武器輸入問題に向けさせ、アメリカの関与を引き出し、ハマスが破壊されたものの再建に追われているうちは砲弾も止まる、というごく短期的な「そこそこOKな結果」があったのだから、ま、こんなものか、という苦い肯定感でもって目先の生活に戻る、という感じか。南部の住民たちは、「久しぶりにこんな静かな平常の朝だ、怖いくらい静かだ」と心から喜んでいるようだが。

数年前はイスラエル国内のアラブ人と一緒に運動していたイスラエル人の多くが、彼らから回ってくる反戦署名を躊躇するようになった(ヘブライ語ではガザの一般市民の殺害に反対する、と書いてあるが、アラビア語版では「一般市民の虐殺」という語が使われていて、しかもハマスに対する批判は一切なくイスラエルを一方的に批判する内容なので、そのような文書に署名するのは良心に反するし、自分の名前がそういう文書と共に政治的文脈で使われたくないから)。今なおそのような活動に署名するのは、よほどの「変わり者」か、ひょっとしたらギデオン・レビ記者がそうであるように、外側からどう見えるかのイメージが大事な人。 でなければ、どこか別のところに住んでいて、自分が数年間に亘ってイスラエル南部の住民の苦しみを見捨てていた、という感覚を共有せずにすんでいる人。

ハマスが一方的に悪者である。僕らは、もちろんそうでないことを知っているわけだ。

あるいは、その前の日の文章。

多くのイスラエル人は、対話とか和平とか共存とか最早そんな高望みはしないから(かつて 1993年から2000年までうっかり望んでしまったのが間違いだった)、とにかくカッサムもグラッドもカチューシャも、なるべく飛んでこなければいい、という実感の中に生きている。対話したければ勝手にどうぞ、 俺らはもうさんざんやろうとしたし、結局無理だったんだよ、期待をかけたアラファトはあんなだったし、という冷たい視線が飛んできそう。

むむー、これではアメリカのイスラエル・ロビーの主張と一緒じゃん、という気分になる。だけど、その下に次のように書かれているのを見逃すわけにはいかない。

2000年以降、イスラエル人が失ったものは大きい。最近この問題に参入した人、あるいは遠くから見ていた人に伝えるのは難しいと思うのだが、エルサレムやテルアビブの街中で自爆テロがいくら起きても、和平プロセスの最中だから、自分たちの被害はともかく和平プロセスを進めてくれ、と病院で語ったテロの被害者たち(イスラエル市民)がかつていたのである。今誰がそんなことを口にするだろう。 今のイスラエル人の言動に大きく影響しているのは、ホロコーストとか選民思想とかというよりも、1993年から今までの和平プロセス失敗である。

もちろん、この主張だって一面的なのだろうと思う。ただ、あなた達は全部を知っているわけではない、という意見は確かにその通りだと思う。物事は常に単純ではない。だが、その一方で僕らは全てを満足する回答を提出できるわけでもない。複雑な気分になる。とてもとても。