吉村市長への反論

はじめに

このメモは、2018年10月2日付で吉村大阪市長からサンフランシスコ市長あてに送られた公開書簡(現在、大阪市のサイトからは削除されています。国立図書館によるアーカイブによって、ここから読めます)に対する反論の試みの一つです。

このメモでは、「4.サンフランシスコ市の慰安婦像及び碑の問題点」というセクションを中心に、歴史認識のテクニカルな論点についての反論を試みました。他のセクションについては検討していません。

全体で9つの反論があります。反論対象の該当箇所は「参照和訳」のPDFファイルのページ数と書簡の抜粋で示しました。

 

1. 日本軍「慰安婦」犠牲者の人数について

 

反論1

[該当箇所]
碑文には、1931 年から 1945 年に日本帝国軍に性的に奴隷化されたアジア・太平洋地域 13 ヶ国の何十万もの女性と少女、いわゆる「慰安婦」の苦しみを証言するものである。これらの女性のほとんどが戦時中の捕らわれの身のまま亡くなった。(以下略)」と刻まれていますが、これは歴史的事実として確認されていない言説です

 

[要約]日本政府は「数多くの」被害者が存在したと認めており、これは碑文の「何十万人」という表現と矛盾しない。おかしいのは吉村市長のほうである。

 

[詳しい説明]吉村市長は、碑文にある「何十万もの女性と少女」という文言を(マグロウヒル社の歴史教科書の「20万人もの」という記述とも合わせて)問題にしている。

吉村市長は碑文の内容を「歴史的事実として確認されていない」と批判する。しかし、日本軍慰安婦被害者の総数が確定できないのは、この点に関する日本軍の資料が破棄されたか、または隠蔽されているために、発見されていないからである。この事実に触れずに「確認されていないから記載すべきでない」と日本側から表明するのは、控えめに言って不誠実である。

また、吉村市長はマグロウヒル社の教科書ついての部分では、20万人という人数を含む記述を「虚偽の記載」「事実とは全く異なる誤った認識に基づく内容」であると批判するが、この意見は1993年に発表された日本政府の調査報告にある「慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる」という記述と矛盾する(なお、書簡のこの部分は2015年8月27日付サンフランシスコ市議会あて書簡からの引用であるが、本文と一体となって主張と展開している部分であるのでこの反論では特に区別しない。以下同じ)。

 

(いわゆる従軍慰安婦問題について(内閣府官房外政審議室) http://www.awf.or.jp/6/statement-03.html

 

反論2

[該当箇所]
碑文には、1931 年から 1945 年に日本帝国軍に性的に奴隷化されたアジア・太平洋地域 13 ヶ国の何十万もの女性と少女、いわゆる「慰安婦」の苦しみを証言するものである。これらの女性のほとんどが戦時中の捕らわれの身のまま亡くなった。(以下略)」と刻まれていますが、これは歴史的事実として確認されていない言説です

 

[要約]学者による人数の推計には2万人から41万人までの幅がある。そのなかで「何十万人」という表現を選ぶことは特におかしなことではない。

 

[詳しい説明]歴史学者による推計には2万人から41万人までの幅がある(言うまでもないことだが、2万人も決して少ない数ではない)。これらの数字は、「日本軍兵士の総数の推計」「日本軍兵士何人につき『慰安婦』が一人いたかの推計」「戦争中にどれほどの『慰安婦』が入れ替わっていたか(死亡、病気、逃亡、満期等によって)の推計」にかかわる。

もっとも低い推計を行う秦(1999)は、日本軍兵士数を250万人、兵士150人に「慰安婦」1人、「交代率」1.5人として総数2万人という数字をはじき出す。しかし、この数字は少なすぎるというべきだ。

吉見義明は日本軍兵士数を300万人、兵士100人につき「慰安婦」1人(1939年の上海第21軍の報告による)、「交代率」1.5人として総数4万5千人という数字を「下限」として計算している(吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』)。吉見による「上限」の数字は、日本軍兵士数を300万人、兵士30人につき「慰安婦」1人(鉱山などの「産業慰安所」の配置状況による)、「交代率」2人として20万人である(吉見義明『従軍慰安婦』)。

なお、これらの数字は日本政府が公式に動員した女性の数の推計であることにも注意が必要である。中国や東南アジアなどでは、現地の部隊が独断で女性を拉致・連行して「慰安婦」にした事例が多数あることが確認されており、この人数を加算すると被害者の推計はさらに大きくなる。 蘇智良による「日本軍兵士300万人」「兵士30人につき慰安婦1人」「交代率4人」という計算による総数41万人という推計はこうしたものだと考えてよい。

こうした数値はもちろんすべて推測の域を出ないが、だからといって数値を過小に見積もってよいことにはならない。20万人という数字が極端に過大だともいえない。

 

(これらの推計については、「女性基金」のホームページにまとめがある。 http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html

 

2. クマラスワミ報告について

 

反論3

[該当箇所]

少し具体的にお話しますと、例えば、いわゆるクマラスワミ報告(クマラスワミ氏による 1996 年の国連人権委員会特別報告)では「慰安婦」を「軍性奴隷」と断じています。

 

[要約]「クマラスワミ報告」についての吉村市長の批判は98年の「マクドゥーガル報告」で解消されている。なぜ古い方の報告書にこだわるのかわからない。

 

[詳しい説明]吉村市長は「具体例を挙げて反論する」箇所で、マグロウヒル社の歴史教科書と「クマラスワミ報告」の2つに対する反論を展開する。このうち「クマラスワミ報告」は、1996年に国連人権委員会に提出されたものだが、実はこの2年後に同じ人権委員会に「マクドゥーガル報告」が提出されており、吉村市長がおこなう批判のほとんどはこの報告書によって解消されている。吉村市長がこの点に全く言及しないのは奇妙である。

 

(クマラスワミ報告について http://fightforjustice.info/?page_id=2469

反論4

[該当箇所]

根拠の1つとして、「1000 人もの女性を慰安婦として連行した奴隷狩りに加わった」という吉田清治氏の告白をあげていますが、吉田清治氏は、一方でこの告白が創作であることを認めており

 

[要約]「クマラスワミ報告」の誤り、として指摘されているものはあまり重要性がない。吉村市長の主張は些細な点をあげつらうものである。

 

[詳しい説明]

吉村市長は「クマラスワミ報告」において、吉田清治氏の(真偽の定かならぬ)証言が取り上げられたことを問題視している。しかし、この証言は「慰安婦」の徴集についての記述(23-31節)のうち、戦争後半の時期について取り上げた第29節の一部をなすにすぎず、セクション全体、あるいは報告書全体に重大な影響を及ぼすものではない。また、同報告書には吉田氏の証言に対する歴史学者秦郁彦氏)の批判も収録されており(40節)、吉田証言を収録したことをもって同報告書を否定することはできない。

また、吉村市長は吉田証言の撤回を理由とした報告書全体の撤回をクマラスワミ氏が否定したことにも触れているが、クマラスワミ報告は日本や朝鮮半島での証言聴取および資料収集によって書かれており、「吉田証言のみに拠って報告書を書いたものではない」という氏の反論はその通りとしかいいようがない。

 

(クマラスワミ報告全文 http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf

 

反論5

 

[該当箇所]

決議の中で特別報告者の作業 を「歓迎(welcome)」し、当該付属文書の報告内容に対しては「歓迎」よりも評価の 低い「留意する(take note)」と触れただけにとどまります。このことが示すことは つまり、クマラスワミ報告本体が最も高く評価されたのであれば用いられたであろう 「賛意(commend)」が示されたわけでもありません。よって国連人権委員会として、 「慰安婦」を「軍性奴隷」と断定する内容を容認(endorse)したものでは決してな いのです。

 

[要約]「クマラスワミ報告」が国連で「歓迎」されなかったから価値が低い、というが、そうなったのは日本政府が強硬に反対したから。吉村市長は20年前の日本政府の主張を繰り返しているに過ぎない。

 

[詳しい説明]

吉村市長は、「クマラスワミ報告」は国連人権委員会において「賛同」「歓迎」よりも程度の低い「留意」されたにとどまる、と指摘し、それゆえにこの報告の価値が低いと主張する。しかし、国連人権委員会が「賛同」や「歓迎」を行えなかったのは、全会一致を原則とするため、日本政府の強硬な反対を退けることができなかったためである。日本政府の反論はほとんど反論の体を成しておらず、抗議文書を撤回する(公式には差し替えとなっている)破目になったが、政府代表は態度を変えなかった。ちなみに、最終的に決議案に投票した56カ国のうち、報告書に反論していたのは日本のみ。

 

(この間の経緯は、http://maeda-akira.blogspot.com/2014/10/blog-post_17.html に詳しい)

 

反論6

[該当箇所]

クマラスワミ報告自体はジ ョージ・ヒックスというジャーナリストによる“The Comfort Women”という著作に多 く依拠していますが、この著作は実証性に乏しいものであると複数の研究者から指摘 されているものだということを、申し添えておきます

 

[要約]

「クマラスワミ報告」について吉村市長が指摘する些細な問題点は、2年後の「マクドゥーガル報告」によって解消されている。吉村市長がこの点に触れないのは奇妙である。

 

[詳しい説明]1998年、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会は「マクドゥーガル報告書」を採択した。この報告書には日本軍「慰安婦」制度や関係者の法的責任に詳しく触れた部分がある。同報告書はほぼ全面的に学術書、および政府提出の資料にもとづいており、さらに委員会によって「歓迎」されている。あらゆる文書に誤りが生じることは避けられないが、それはしばしば後発の報告によって改善される。吉村市長が「クマラスワミ報告」にだけこだわって、「マクドゥーガル報告」に触れないのは奇妙である。

 

マクドゥーガル報告について http://fightforjustice.info/?page_id=2467

マクドゥーガル報告全文:http://www.awf.or.jp/pdf/0199.pdf

 

3. マグロウヒル社の教科書について

反論7

[該当箇所]
アメリカの大手教育出版社であるマグロウヒル社の高校の世界史教科書「伝統と交流」では、第2次世界大戦を扱った章の中で、「日本軍は 14歳から 20 歳までの 20 万人もの女性を強制的に連行・徴用し軍用売春施設で働かせた」、「逃げようとしたり性病にかかったりした者は日本兵に殺された」、「戦争が終わる頃には、慰安所でやっていたことを隠すために多数の慰安婦を虐殺した」など多数の虚偽の記述があり、事実とは全く異なる誤った認識に基づく内容があたかも史実であるかのように教育現場に持ち込まれています。

 

[要約]

吉村市長はマグロウヒル社の教科書の記述を虚偽であると批判するが、それには根拠がない。

 

[詳しい説明]

吉村市長は、マグロウヒル社の教科書の記述に「日本軍は14歳から20歳までの20万人もの女性を強制的に連行・徴用し軍用売春施設で働かせた」、「逃げようとしたり性病にかかったりした者は日本兵に殺された」、「戦争が終わる頃には、慰安所でやっていたことを隠すために多数の慰安婦を虐殺した」とあることを「虚偽」として問題にする。しかし、これらの記述は日本政府を含む公的機関の調査結果および被害者や目撃者の証言と一致する。他方、日本軍・政府が手厚く病気の治療を行ったり、帰国の支援をしたという証言や証拠はない。

 

(戦後女性たちはどうなったか http://fightforjustice.info/?page_id=2346

 

4.歴史家の意見について

 反論8

[該当箇所]
慰安婦の数や募集における旧日本軍の関与について歴史研究者の間でも議論が分か
れていることは 2015 年 5 月 5 日の『日本の歴史家を支持する声明』の中で米国を中心とする 187 名の歴史研究者らが自ら認めています

 

[要約]吉村市長はアメリカを中心とする187人の歴史研究者の声明をひいているが、その要約は原文の意味を全く逆にとらえて歪曲するものである。

 

[詳しい説明]

吉村市長は「慰安婦の数や募集における旧日本軍の関与について歴史研究者の間でも議論が分かれていることは2015年5月5日の『日本の歴史家を支持する声明』の中で米国を中心とする187名の歴史研究者が自ら認めています」と主張する。しかし、この声明の該当部分は

「確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」

「歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです」

「特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません」

と述べている。これは、「人数について諸説があっても、女性たちが尊厳を奪われたという事実は否定できない」「些細な用語にこだわっても、女性たち意に反する強制を受けたことは否定できない」という意味であって、吉村市長の主張とは内容が逆であり、この箇所を根拠として声明を否定するのはナンセンスとしか言いようがない。

 

(「日本の歴史家を支持する声明」日本語訳 https://mainichi.jp/articles/20150512/mog/00m/040/022000c

 

 

5.「アジア女性基金」について

 反論9

[該当箇所]

慰安婦の方々へ償い金をお渡しし、総理大臣の直筆署名入りのお詫びの手紙と日本国民からのメッセージを添えて、あらためてお詫び申し上げたほか、女性の尊厳を傷付けた過去の反省にたち、女性に対する暴力など今日的な問題に対処する事業を援助するなどの女性の尊厳事業を行なうことで、日本政府はアジア女性基金とともに、誠実に対応してきたのです。

 

[要約]吉村市長は日本は既に道義的責任を果たしたと主張する。しかし、問われているのは法的責任である。

 

[詳しい説明]

吉村市長は、日本は「アジア女性基金」を通じて日本軍「慰安婦」被害者に対して、誠実に対応してきたと主張する。実際、この基金は道義的な責任に対する日本政府の対応として「クマラスワミ報告」や「マクドゥーガル報告」でも高く評価されてきた。しかし、両報告を含む国際社会の提言が日本政府に対して一貫して要求してきたのは、法的な責任を果たすことである。日本政府は正当な司法手続きによって責任者を処罰し、被害者に対して賠償を行わねばならない。日本軍「慰安婦」制度は、奴隷制度、人道に対する罪、戦争犯罪のいずれか、あるはすべてであるとみなされるが、これらが当時すでに違法であったこと、戦後の種々の条約によって解決されていないこと、およびこれらの犯罪には時効がないことは、マクドゥーガル報告によって指摘されている。また、女性基金からの「償い金」は日本政府も言うように、法的な賠償金ではない。

 

(市民団体による解決への提言 http://fightforjustice.info/?page_id=2477