吉村市長への反論

はじめに

このメモは、2018年10月2日付で吉村大阪市長からサンフランシスコ市長あてに送られた公開書簡(現在、大阪市のサイトからは削除されています。国立図書館によるアーカイブによって、ここから読めます)に対する反論の試みの一つです。

このメモでは、「4.サンフランシスコ市の慰安婦像及び碑の問題点」というセクションを中心に、歴史認識のテクニカルな論点についての反論を試みました。他のセクションについては検討していません。

全体で9つの反論があります。反論対象の該当箇所は「参照和訳」のPDFファイルのページ数と書簡の抜粋で示しました。

 

1. 日本軍「慰安婦」犠牲者の人数について

 

反論1

[該当箇所]
碑文には、1931 年から 1945 年に日本帝国軍に性的に奴隷化されたアジア・太平洋地域 13 ヶ国の何十万もの女性と少女、いわゆる「慰安婦」の苦しみを証言するものである。これらの女性のほとんどが戦時中の捕らわれの身のまま亡くなった。(以下略)」と刻まれていますが、これは歴史的事実として確認されていない言説です

 

[要約]日本政府は「数多くの」被害者が存在したと認めており、これは碑文の「何十万人」という表現と矛盾しない。おかしいのは吉村市長のほうである。

 

[詳しい説明]吉村市長は、碑文にある「何十万もの女性と少女」という文言を(マグロウヒル社の歴史教科書の「20万人もの」という記述とも合わせて)問題にしている。

吉村市長は碑文の内容を「歴史的事実として確認されていない」と批判する。しかし、日本軍慰安婦被害者の総数が確定できないのは、この点に関する日本軍の資料が破棄されたか、または隠蔽されているために、発見されていないからである。この事実に触れずに「確認されていないから記載すべきでない」と日本側から表明するのは、控えめに言って不誠実である。

また、吉村市長はマグロウヒル社の教科書ついての部分では、20万人という人数を含む記述を「虚偽の記載」「事実とは全く異なる誤った認識に基づく内容」であると批判するが、この意見は1993年に発表された日本政府の調査報告にある「慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる」という記述と矛盾する(なお、書簡のこの部分は2015年8月27日付サンフランシスコ市議会あて書簡からの引用であるが、本文と一体となって主張と展開している部分であるのでこの反論では特に区別しない。以下同じ)。

 

(いわゆる従軍慰安婦問題について(内閣府官房外政審議室) http://www.awf.or.jp/6/statement-03.html

 

反論2

[該当箇所]
碑文には、1931 年から 1945 年に日本帝国軍に性的に奴隷化されたアジア・太平洋地域 13 ヶ国の何十万もの女性と少女、いわゆる「慰安婦」の苦しみを証言するものである。これらの女性のほとんどが戦時中の捕らわれの身のまま亡くなった。(以下略)」と刻まれていますが、これは歴史的事実として確認されていない言説です

 

[要約]学者による人数の推計には2万人から41万人までの幅がある。そのなかで「何十万人」という表現を選ぶことは特におかしなことではない。

 

[詳しい説明]歴史学者による推計には2万人から41万人までの幅がある(言うまでもないことだが、2万人も決して少ない数ではない)。これらの数字は、「日本軍兵士の総数の推計」「日本軍兵士何人につき『慰安婦』が一人いたかの推計」「戦争中にどれほどの『慰安婦』が入れ替わっていたか(死亡、病気、逃亡、満期等によって)の推計」にかかわる。

もっとも低い推計を行う秦(1999)は、日本軍兵士数を250万人、兵士150人に「慰安婦」1人、「交代率」1.5人として総数2万人という数字をはじき出す。しかし、この数字は少なすぎるというべきだ。

吉見義明は日本軍兵士数を300万人、兵士100人につき「慰安婦」1人(1939年の上海第21軍の報告による)、「交代率」1.5人として総数4万5千人という数字を「下限」として計算している(吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』)。吉見による「上限」の数字は、日本軍兵士数を300万人、兵士30人につき「慰安婦」1人(鉱山などの「産業慰安所」の配置状況による)、「交代率」2人として20万人である(吉見義明『従軍慰安婦』)。

なお、これらの数字は日本政府が公式に動員した女性の数の推計であることにも注意が必要である。中国や東南アジアなどでは、現地の部隊が独断で女性を拉致・連行して「慰安婦」にした事例が多数あることが確認されており、この人数を加算すると被害者の推計はさらに大きくなる。 蘇智良による「日本軍兵士300万人」「兵士30人につき慰安婦1人」「交代率4人」という計算による総数41万人という推計はこうしたものだと考えてよい。

こうした数値はもちろんすべて推測の域を出ないが、だからといって数値を過小に見積もってよいことにはならない。20万人という数字が極端に過大だともいえない。

 

(これらの推計については、「女性基金」のホームページにまとめがある。 http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html

 

2. クマラスワミ報告について

 

反論3

[該当箇所]

少し具体的にお話しますと、例えば、いわゆるクマラスワミ報告(クマラスワミ氏による 1996 年の国連人権委員会特別報告)では「慰安婦」を「軍性奴隷」と断じています。

 

[要約]「クマラスワミ報告」についての吉村市長の批判は98年の「マクドゥーガル報告」で解消されている。なぜ古い方の報告書にこだわるのかわからない。

 

[詳しい説明]吉村市長は「具体例を挙げて反論する」箇所で、マグロウヒル社の歴史教科書と「クマラスワミ報告」の2つに対する反論を展開する。このうち「クマラスワミ報告」は、1996年に国連人権委員会に提出されたものだが、実はこの2年後に同じ人権委員会に「マクドゥーガル報告」が提出されており、吉村市長がおこなう批判のほとんどはこの報告書によって解消されている。吉村市長がこの点に全く言及しないのは奇妙である。

 

(クマラスワミ報告について http://fightforjustice.info/?page_id=2469

反論4

[該当箇所]

根拠の1つとして、「1000 人もの女性を慰安婦として連行した奴隷狩りに加わった」という吉田清治氏の告白をあげていますが、吉田清治氏は、一方でこの告白が創作であることを認めており

 

[要約]「クマラスワミ報告」の誤り、として指摘されているものはあまり重要性がない。吉村市長の主張は些細な点をあげつらうものである。

 

[詳しい説明]

吉村市長は「クマラスワミ報告」において、吉田清治氏の(真偽の定かならぬ)証言が取り上げられたことを問題視している。しかし、この証言は「慰安婦」の徴集についての記述(23-31節)のうち、戦争後半の時期について取り上げた第29節の一部をなすにすぎず、セクション全体、あるいは報告書全体に重大な影響を及ぼすものではない。また、同報告書には吉田氏の証言に対する歴史学者秦郁彦氏)の批判も収録されており(40節)、吉田証言を収録したことをもって同報告書を否定することはできない。

また、吉村市長は吉田証言の撤回を理由とした報告書全体の撤回をクマラスワミ氏が否定したことにも触れているが、クマラスワミ報告は日本や朝鮮半島での証言聴取および資料収集によって書かれており、「吉田証言のみに拠って報告書を書いたものではない」という氏の反論はその通りとしかいいようがない。

 

(クマラスワミ報告全文 http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf

 

反論5

 

[該当箇所]

決議の中で特別報告者の作業 を「歓迎(welcome)」し、当該付属文書の報告内容に対しては「歓迎」よりも評価の 低い「留意する(take note)」と触れただけにとどまります。このことが示すことは つまり、クマラスワミ報告本体が最も高く評価されたのであれば用いられたであろう 「賛意(commend)」が示されたわけでもありません。よって国連人権委員会として、 「慰安婦」を「軍性奴隷」と断定する内容を容認(endorse)したものでは決してな いのです。

 

[要約]「クマラスワミ報告」が国連で「歓迎」されなかったから価値が低い、というが、そうなったのは日本政府が強硬に反対したから。吉村市長は20年前の日本政府の主張を繰り返しているに過ぎない。

 

[詳しい説明]

吉村市長は、「クマラスワミ報告」は国連人権委員会において「賛同」「歓迎」よりも程度の低い「留意」されたにとどまる、と指摘し、それゆえにこの報告の価値が低いと主張する。しかし、国連人権委員会が「賛同」や「歓迎」を行えなかったのは、全会一致を原則とするため、日本政府の強硬な反対を退けることができなかったためである。日本政府の反論はほとんど反論の体を成しておらず、抗議文書を撤回する(公式には差し替えとなっている)破目になったが、政府代表は態度を変えなかった。ちなみに、最終的に決議案に投票した56カ国のうち、報告書に反論していたのは日本のみ。

 

(この間の経緯は、http://maeda-akira.blogspot.com/2014/10/blog-post_17.html に詳しい)

 

反論6

[該当箇所]

クマラスワミ報告自体はジ ョージ・ヒックスというジャーナリストによる“The Comfort Women”という著作に多 く依拠していますが、この著作は実証性に乏しいものであると複数の研究者から指摘 されているものだということを、申し添えておきます

 

[要約]

「クマラスワミ報告」について吉村市長が指摘する些細な問題点は、2年後の「マクドゥーガル報告」によって解消されている。吉村市長がこの点に触れないのは奇妙である。

 

[詳しい説明]1998年、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会は「マクドゥーガル報告書」を採択した。この報告書には日本軍「慰安婦」制度や関係者の法的責任に詳しく触れた部分がある。同報告書はほぼ全面的に学術書、および政府提出の資料にもとづいており、さらに委員会によって「歓迎」されている。あらゆる文書に誤りが生じることは避けられないが、それはしばしば後発の報告によって改善される。吉村市長が「クマラスワミ報告」にだけこだわって、「マクドゥーガル報告」に触れないのは奇妙である。

 

マクドゥーガル報告について http://fightforjustice.info/?page_id=2467

マクドゥーガル報告全文:http://www.awf.or.jp/pdf/0199.pdf

 

3. マグロウヒル社の教科書について

反論7

[該当箇所]
アメリカの大手教育出版社であるマグロウヒル社の高校の世界史教科書「伝統と交流」では、第2次世界大戦を扱った章の中で、「日本軍は 14歳から 20 歳までの 20 万人もの女性を強制的に連行・徴用し軍用売春施設で働かせた」、「逃げようとしたり性病にかかったりした者は日本兵に殺された」、「戦争が終わる頃には、慰安所でやっていたことを隠すために多数の慰安婦を虐殺した」など多数の虚偽の記述があり、事実とは全く異なる誤った認識に基づく内容があたかも史実であるかのように教育現場に持ち込まれています。

 

[要約]

吉村市長はマグロウヒル社の教科書の記述を虚偽であると批判するが、それには根拠がない。

 

[詳しい説明]

吉村市長は、マグロウヒル社の教科書の記述に「日本軍は14歳から20歳までの20万人もの女性を強制的に連行・徴用し軍用売春施設で働かせた」、「逃げようとしたり性病にかかったりした者は日本兵に殺された」、「戦争が終わる頃には、慰安所でやっていたことを隠すために多数の慰安婦を虐殺した」とあることを「虚偽」として問題にする。しかし、これらの記述は日本政府を含む公的機関の調査結果および被害者や目撃者の証言と一致する。他方、日本軍・政府が手厚く病気の治療を行ったり、帰国の支援をしたという証言や証拠はない。

 

(戦後女性たちはどうなったか http://fightforjustice.info/?page_id=2346

 

4.歴史家の意見について

 反論8

[該当箇所]
慰安婦の数や募集における旧日本軍の関与について歴史研究者の間でも議論が分か
れていることは 2015 年 5 月 5 日の『日本の歴史家を支持する声明』の中で米国を中心とする 187 名の歴史研究者らが自ら認めています

 

[要約]吉村市長はアメリカを中心とする187人の歴史研究者の声明をひいているが、その要約は原文の意味を全く逆にとらえて歪曲するものである。

 

[詳しい説明]

吉村市長は「慰安婦の数や募集における旧日本軍の関与について歴史研究者の間でも議論が分かれていることは2015年5月5日の『日本の歴史家を支持する声明』の中で米国を中心とする187名の歴史研究者が自ら認めています」と主張する。しかし、この声明の該当部分は

「確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」

「歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです」

「特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません」

と述べている。これは、「人数について諸説があっても、女性たちが尊厳を奪われたという事実は否定できない」「些細な用語にこだわっても、女性たち意に反する強制を受けたことは否定できない」という意味であって、吉村市長の主張とは内容が逆であり、この箇所を根拠として声明を否定するのはナンセンスとしか言いようがない。

 

(「日本の歴史家を支持する声明」日本語訳 https://mainichi.jp/articles/20150512/mog/00m/040/022000c

 

 

5.「アジア女性基金」について

 反論9

[該当箇所]

慰安婦の方々へ償い金をお渡しし、総理大臣の直筆署名入りのお詫びの手紙と日本国民からのメッセージを添えて、あらためてお詫び申し上げたほか、女性の尊厳を傷付けた過去の反省にたち、女性に対する暴力など今日的な問題に対処する事業を援助するなどの女性の尊厳事業を行なうことで、日本政府はアジア女性基金とともに、誠実に対応してきたのです。

 

[要約]吉村市長は日本は既に道義的責任を果たしたと主張する。しかし、問われているのは法的責任である。

 

[詳しい説明]

吉村市長は、日本は「アジア女性基金」を通じて日本軍「慰安婦」被害者に対して、誠実に対応してきたと主張する。実際、この基金は道義的な責任に対する日本政府の対応として「クマラスワミ報告」や「マクドゥーガル報告」でも高く評価されてきた。しかし、両報告を含む国際社会の提言が日本政府に対して一貫して要求してきたのは、法的な責任を果たすことである。日本政府は正当な司法手続きによって責任者を処罰し、被害者に対して賠償を行わねばならない。日本軍「慰安婦」制度は、奴隷制度、人道に対する罪、戦争犯罪のいずれか、あるはすべてであるとみなされるが、これらが当時すでに違法であったこと、戦後の種々の条約によって解決されていないこと、およびこれらの犯罪には時効がないことは、マクドゥーガル報告によって指摘されている。また、女性基金からの「償い金」は日本政府も言うように、法的な賠償金ではない。

 

(市民団体による解決への提言 http://fightforjustice.info/?page_id=2477

 

 

維新の政策を読んでみた

日本維新の会の政策集、「日本大改革:経済成長と格差解消を実現するグレートリセット」を読んでみました(広告代理店の手が入ってるらしい、なかなか上手いタイトルだと思います)。
日本の危機のところ

この政策集(というかパワポのスライドです)は、三部構成になっているのですが、全体として「今の日本は危機」「こう改革する」という話になっています(急いでつくったのか、内部学習会の資料みたいな「今後の維新はこうあるべき」というパートも混ざっています)。
まず日本の危機についてみると「経済成長がなく、諸外国に比べて所得落ちていること」「企業の内部留保が多過ぎ、労働分配率が低いこと」「貧困」「少子・高齢化」「教育費の高騰」を挙げていて、まあ普通に社会派です(ちょっと意外)。

税制改革のところ
メインの改革は、「税制改革」「社会保障改革」「労働市場改革」の三つからなります。
税制改革は、減税と制度の簡素化。法人税と消費税を減税し、所得税は10%と30%の二つの税率にします。分離課税や所得控除は全廃します。
金融所得にも普通に課税するために今の逆進性は改善されるのですが、累進課税に触れていないところが根本的にアカン感じがします。所得控除も、障害者控除や寡婦控除などもなくなってしまいます。基礎控除、給与所得控除もなくなるので、ほとんどの人にとっては増税になります。
そして、この結果税収がいくらになるのか、という話は出ていません。たぶん大規模な行政の削減をやらないと無理、な数字になると思うんですが、そこは触れないことにしたみたいです。
ベーシックインカム」のところ
二つ目はベーシックインカムです。これは全国民に月額6万円を支給するというもので(外国籍の方にはどうするのかは触れていません)、その代わりに年金などの社会保障の現金給付を全廃します。
6万円というのは、高齢基礎年金よりもちょっと安い金額なので、それを意識していることは間違いありません。高齢者などには10万円まで増額する、と言っているのですが、予算規模から言って増額は少数の例外に留まりそうです。
年金の2階部分などは継続するというプランなので、その部分を見れば、今の年金制度と違いはありません(医療保険などは継続します。障害年金には触れていません)。
維新のプランでは、この給付がさきほどの増税を相殺します。例にも挙げられているのですが、年収300万円の単身者の場合、所得税額は今の約5万円から30万円に一気に上がります。でも、年額72万円の給付があるので、差し引き42万円ほどがメリットになるわけです。
ただ、「プラン」はこの財源に一切触れていません。ベーシックインカムは100兆円の予算でできる、となっているのですが、これはほぼ日本の国家予算に相当する額です。増税によって賄うのかとも思いますが、それができるという計算は示されていません。
労働市場改革のところ
三番目の労働市場改革は、解雇規制の緩和と再就職支援、雇用保険の強化、労働分配率での法人税の優遇などからなります(「働き方改革」を言い換えるキャッチコピーが用意できなかったみたいです)。
解雇しやすくする代わりに再就職を支援する…というのは北欧型の社会民主主義政策のようにも見えますが、不吉なのは「失業者への権利と義務を課す」という(ちょっと文法的にも不安定な)文言が入っていることです。「福祉を撤廃して勤労を促す」というワークフェアアメリカの貧困層の生活をさんざんなものにしたあれの雰囲気がします。このパートはかなり短いので、拾えるのはこれくらいです。

まとめ

まとめます。労働市場改革の所でも触れましたが、このプランは、全体としてアメリカやイギリスの新自由主義改革と似ています。税制の簡素化や福祉の簡略化、解雇規制の緩和など、いずれも1980年代に登場した「サッチャリズム」や「レーガノミクス」の焼き直しです。したがって、当然のことながらこれによって格差が拡大し、富裕層と大企業だけが肥え太るという社会の到来が予測されます。
そして、このプランのもう一つの大きな問題点は、財政の見通しがないことです。税制にせよ、BIにせよ、どのくらいの財源が生み出されたり、必要になったりするのか、という観点が全くありません。もし維新が政権を取ったら、「再検討の結果、BIは不可能。増税だけする」ということになりそうな気が、僕はします。

選挙雑感

2021年10月31日、任期満了を受けての衆議院選挙は自民党のある程度の退潮という予想された結果と、維新の躍進と立憲民主の後退という一部でしか予想されていなかった結果をもたらすことになった。
ここから見えるのは、日本が新自由主義新保守主義に向けて舵を切ったという事実だ。ただし、これは世界的に見て、特異な現象でもなければ異様な状況でもない。ポピュリズムに支えられた新自由主義新保守主義勢力の台頭は、たとえば2017年にエマニュエル・マクロン共和国前進(党名)が左右の既存政党を一掃したフランスや、2019年に保守党のボリス・ジョンソンが地滑り的勝利を収めたイギリス、そして2016年にヒラリー・クリントンを破ったドナルド・トランプの大統領就任などでも見られた。
新自由主義とは、競争を原理とし、競争を妨害するような規制を排除することで経済の急激な成長を目指す国内政策であり、新自由主義とは、国際政治における「力の原理」を支持し、とりわけ経済的な競争(市場経済)以外の原理を掲げる国々を武力に訴えてでも排除してゆくという国際政策である。ブッシュJr.時代のアメリカのイラク侵攻(トランプの外交チームはブッシュ政権の引継ぎである)、イギリスのブレクジット、トランプ時代のアメリカの反・環境政策、フランスの国内改革などはそのようなものの代表だ。維新の経済、外交関係もそのようなものとして理解できる。日本は新自由主義新保守主義の勢力が中央政界に進出する前段階あたりにいると、大雑把には理解してよいだろう。
特に象徴的なのは大阪の状況で、もちろん、維新はそこで躍進したのだが、辻元清美尾辻かな子という、立憲民主党のリベラル勢力の中心的存在だった現職の女性議員が比例復活もならずに落選するという惨敗を喫した。このことは何を示唆するだろか。
大阪での維新の躍進は、おそらく次の四つの要因に支えられている。1.幹部層の頻繁なメディア露出、2.自民党時代からの事務組織および近年整備された地方議員ネットワーク、3.「変革による成長」という政策アピール、4.万博とIRによる公共投資という実利。
この中で、とりわけ3および4は立憲民主党左派や共産党などには全くないものだ。辻元も尾辻も、そうした主張はほとんどしていない。言い換えると、維新は成長戦略を訴えることによって勝利したのである。
成長戦略を訴えることが効果的なのは、社会が成長とは程遠い状況にあるからである。1990年代以降、00年代の若干の好転はあったものの、日本が常に経済的停滞のもとにあったことは今さら言うまでもない。
だが、その状況は日本だけのものではないし、1990年代以降だけにあるものでもない。近年の先進国の成長率は日本に比べればマシに見えるものの、せいぜい2-4%程度でしかないし、1970年代以降、日本を含めてそれ以前の経済成長を達成できた国はない。
というよりもむしろ、60年代までが異常だったのだ。この時代は、産業革命の頃から続く、農業社会から工業社会への変革と、それに伴う人口の増加が終わった時代である。言い換えると、それ以前の社会に見られた高度成長は、社会の根本的な変化に伴う現象なのだ。それはもちろん一時的な出来事であって、同じレベルの急激な変化が起き続けない限り、持続することはない。問題は、我々がこのあまりにも急激で、あまりにも長期にわたる激変期に慣れ過ぎたために、それを当然だと思い、それを前提にする社会・経済の制度を作り上げてしまったことにある。
新自由主義はこの二つの状況、すなわち、成長の条件が失われているという現実と、成長は持続するはずだ、持続してくれなければ困る、という幻想の間に成立する。
そこでは、「規制」という仮想敵が設定され、障害が取り除かれれば永続的な成長が可能であるという主張がされる。それは、かつての資本主義(自由主義経済)の、封建主義や共産主義との闘いとも重なるもので、きわめてわかりやすい。
問題は、新自由主義のこの主張が全くの幻想であることだ。経済に新しい要素が加わらない限り、社会が急激に成長することはありえない。規制を緩和するとは規制よって生じていた利益を他に付け替えることであり、それは移転にすぎない。新自由主義者はしばしば減税も主張するが、それは課税による分配を市場による分配に置き換えることでしかない。いずれの場合も、富が移動しているだけで、もしかしたらあるかもしれない効率化によるわずかなもの以外、成長につながる要素はない。
現実に目を向けてみれば、維新の成長戦略も、大阪市の資産の大阪府への移管(都構想)や民間への譲渡、万博に伴う公共投資、そしてIRによる外国人観光客の呼び込みからなっていて、特に新規な要素はない。他の野党がそのようなビジョンをもたないのは、それがうまく行くはずがないからだ。維新による「大胆な投資」は、右から左への移転にすぎず(あるいは、この場合は「左から右への」というべきだろうか)、一部の人だけを富ませ、社会全体には大きなマイナスをもたらす結果に終わるだろう。
問題は、日本全体がこの大規模なペテンに進んで引っかかろうとしていることだ。急激な成長という不可能な目標は捨て、充実した再分配政策に基づく、小規模だが持続可能な成長を目指す、というのが左派の主張だったのだが、今回の選挙でこれを主張した共産党立憲民主党は見事に敗北した。日本は、非現実的で無謀な賭けに乗り出そうとしているのである。
これは極端な考察だろうか。だが、全体の傾向がそちらを向いていることは明らかだ。たとえば、今夏の東京都議選では新自由主義的な傾向を持つ都民ファーストが事前の予測を覆して勝利した。兵庫県知事選挙でも維新の新人候補が圧勝した。自民党総裁選挙では、従来の保守派の立場から立候補した岸田氏が勝利したが、総裁就任後は新自由主義的な方向への路線修正を余儀なくされている。思い起こせば4年前にも、希望の党が(選挙直前に失速したとはいえ)センセーションを巻き起こしている。今回の選挙でも、立憲民主党や国民民主党に所属を変えた旧希望の党の党員たちが当選を重ねている。トレンドは明白になっている。他のあらゆる側面でそうであるのと同様に、社会経済体制においても、日本は一度設定された路線から離れられず、状況に柔軟に対応することができないのだ。
とはいえ、実際には新自由主義が勝利することはない。アメリカは4年でトランプを諦め、中道的なバイデンに鞍替えした。マクロンの与党はフランスの選挙で敗北を続けている。イギリスでは、ブレクジットが経済に悪影響を与えつつあり、連合王国の危機すらささやかれている(本稿ではあまり触れていないが、成長経済の環境負荷の大きさも、改めて問題化されている)。日本の新自由主義路線も、持続したとしてあと10年程度だろう。ただ、その弊害は極めて大きなものになろう。ただでさえ高齢化が進む日本には、大きな負担を抱える余裕はない。新自由主義を離れたのちも、弱者の切り捨てがやめられないことは明らかだ。かつての遺産は切り売りされ、おそらく海外に移転している。状況は極めて厳しいものになるだろう。2021年のこの選挙は、大阪の、ひいては日本の没落の本格的な始まりとして記憶されることになるかもしれない。

大阪府のコロナ死亡件数を発生日別にまとめました

大阪府は2020年の12月半ばから、毎日、コロナでの死亡件数を発表しています。ただ、この集計は発表日毎の表になっているので、事象の発生日ごとの傾向が分かりづらいという問題があります。そこで、表をダウンロードして整理しなおしてみました。亡くなった方の年齢と性別もわかりますので、そちらも集計してみています(年齢は「何歳代」という形で10歳刻みで、性別は「男」と「女」のバイナリ値で発表されています)。

作業そのものは単純なのですが、件数が膨大なのでPythonスクリプトを組みました。欠損処理とかが意外と大変だったです(あと、生来の間抜けのせいか、long-covidのブレインフォグのせいか、変数を間違えていて修正でえらい目にあいました。ていうか。僕が悪いです。ごめんpython)。

 

第4波は本当にひどかった

まず、日毎の集計を見ます。大阪府の死亡件数は2021年1月1日から10月26日までで、2439件でした(うち2件は死亡日が不明です)。9月までの月別の平均を取ると265件になります。大阪府の毎月の死亡件数はだいたい7000件くらいなので、その3.8%くらいです。全体の傾向は以下のグラフをごらんください。

f:id:le-matin:20211029110623p:plain

3つの波がはっきりと表れています。死亡は感染よりも1-1.5月遅れて現れると言われていますので、冬の第3波、春の第4波、夏の第5波がとらえられているとみていいと思います。

死亡件数では、春の第4波が圧倒的に多くなっています。ワクチンの効果がまだ表れていないときの感染がどれほど恐ろしいものだったかが分かります。月別に集計すると5月の死亡件数は837件あり、平年の死亡件数の10%を超えています。

一方、ワクチンの接種が進みつつあった夏の第5波では、冬の第3波よりも低い水準の死亡件数になっています。公平に見て、政府の対策は死亡を少なくするという点では効果があったといえるでしょう。

 

なお、日毎の集計データは 大阪府死亡・発生日別 - Google スプレッドシート で、

月別の集計データは 大阪府死亡・月別 - Google スプレッドシート でごらんいただけます。

69歳以下の比率が増えてきている。

次に、年齢別の集計を見ます。傾向がわかりやすいように、死亡件数が少なくなっている時期を除き、第3波(1-2月)、第4波(4-5月)、第5波(8-9月)で集計しました。グラフにすると、第3波、第4波、第5波と進むごとに死亡全体に占める70歳以上の人の比率が減り、それ以下の年齢の人の比率が増えていることがわかります。

f:id:le-matin:20211029112544p:plain

70歳以上の人の比率が減る一方、60代は4.7%→8.2%→13.5%と増加、50代も1.3%→4.1%→10.0%、40代も0.5%→1.2%→6.5%と増えてきています(39歳以下は常に2%以下です)。

春には死亡件数が激増し、それが夏に激減しているのですが、そういうこととは係わりなく、比率は一定方向で変動しています。これは高齢者向けに、ワクチン接種と医療体制の整備を重点的に進めてきたことの成果だと言えると思います。

時期別のデータは 大阪府死亡・期間別 - Google スプレッドシート にまとめてあります。

 

男性の比率が増加している

男女別の集計は、以下の表をご覧ください(画像です)。

f:id:le-matin:20211029115406p:plain

もともとコロナの死亡は男性が多いことが知られているのですが、第5波ではさらに男性の比率が増えました。男性が死亡件数の65%を占めるようになっています。理由としてはいくつかの仮説が思い浮かびますが、今回は年齢、性別、時期の三重クロスを取る余裕がなかったので詳しくは分かりません。

男女別のデータも 大阪府死亡・期間別 - Google スプレッドシート に載せています。 

対策は一定の効果をあげている

感染数が激増した第5波でも死亡件数を減らすことができたのは大きな成果でした。ワクチンの効果は絶大だったといえます。また、医療体制の整備も成果を挙げました。

ただ、春の第4波というインパクトによって対策が進んだとも言え、その前に対策があれば多くの方が亡くならずに済んだのではないか、という思いは残ります。医療の整備も、ワクチンの普及も、あと半年前倒しすべきでした。流行開始から1年後の「対策の遅れ」は言い訳がしにくいと思います。

今後の展望ですが、第5波は完全におちつき、死亡件数も10月に入って激減しています。ただし冬に第6波が来る恐れはあります。特にこれで気になるのは、50代以下の人の死亡件数があまり減っていないことです。感染爆発がおさまっている状況なのではっきりとはわかりませんが、10月のデータを見ると、70代以上の方の死亡の比率にも下げどまりが見られるように思います。


もし、今年の冬の第6波がさらに多くの感染という形で到来するなら、ワクチンの効果を勘案しても、この前の冬と同じくらいの死亡が今年の年末から来年初頭にかけて生じる恐れはあるのではないかと思います。

 

 

または、我ら罪ある世代について

(僕は渋谷系とかは知らないけど、あの時代に20代だったものとして、90年代についてはそれなりの苦々しさはある。2016年11月に書いたテキストを発掘したので、転載。今も、こんなふうにごまかさないと書けない。)

あれは封印されているはずだった。ネオ東京の地下深く、絶対零度の秘密施設に、ってそんな話じゃない。いや、大友克洋という言葉に心当たりがなければ、ここは読み飛ばしてくれ。僕が言ってるのはナショナリズムのことだ。
 

あれはもう、すっかり忘れ去られて過去のものになり、覚えている者たちも警戒を怠っていないはずだった。だから、僕たちはそれを使って一勝負かける気になったのだ。もちろん、ひどく思い上がっていた。戦後復興、冷戦終結、バブル…。見るべきものは何も見えていなかった。影の部分を忘れて、なんでもできる気になっていたのだ。 

「あの時代」の話をしよう。90年代の前半のことだ。僕たちの悩みは大きな問題がないことだった。資本主義が勝利し、その余波を駆って社会民主主義が普及しつつあるように見えた。人々は都市で生活し、市場と国家を通じてあらゆる必要を満たした。実態はもちろんそうではなかったが、そういう風に見えていた。あるいは、近いうちにそうなると僕たちは思っていたのだ。完全雇用が実現し、すべての人に(むろんジェンダー格差を超えてだ。僕たちは20世紀生まれだが、何もフェミニズムを知らないわけじゃない)安定した職業人としての人生が保証されているように見えた。そして、新自由主義新保守主義が世界を覆いつつあった。 

びっくりした顔をしなくてもいい。新自由主義新保守主義は格差が拡大する社会じゃなくても発達するのだ。あれが50年代から存在するというフーコーの分析を読んだことがないのか?まあいい、要するにあれは資本制の爛熟と関係があるので、貧しさや格差からくる何かじゃない。とにかく、僕たちには人々の連帯が必要であることがわかっていた。分断による支配のもとで、資本主義の暴走が始まろうとしていたのだ。このままでは大変なことになるのは明らかだった。そうなったらどうなるか、いまさら説明する必要もないだろう。大企業と資本家に富が集中し、国家さえも超える資本の論理が社会を支配し、福祉国家は破壊され、格差がどんどん拡大する社会がくるのだ。 

それくらいのことは、少しものを考える力持った奴になら、誰でもわかることだった。もちろん、警告しても誰も聞かなかった。みんな、今の生活に満足していた。このまま続けていけば何もかもがよくなると思っていたし、まずくいっても制御できると思っていた。チェルノブイリははるか海の向こうのことだったし、阪神大震災はまだ何年も後のことだ。社会は全能感に酔っていたのだ。 

もちろん、それは左派だって同じだった。なんでもできる気でいた。でなければ、ナショナリズムを利用するなんていう話を思いつくはずはない。いや、それは少し酷な言い方かもしれない。ほかに使えそうなものはなにも目につかなかったのは確かなのだから。 

なんでも生産でき、なんでも制御でき、なんでも消費できる社会は、欠乏を知らない社会だ。そういう社会は動かせない。人は強い欲望によって動くもので、社会を揺り動かすような強い欲望は基本的なニーズの欠乏からくるからだ。もちろん、個人個人はいろいろな欲望を抱いていたが、それは社会的な力としてまとまる契機を欠いていた。その一方で「再帰化」という話があった。宮台のあれだ。あれはややこしい概念だが、今はその全部を追う必要はない。要は、なんでも選択可能になるということだ。住む場所やライフスタイル、職業や人生設計、アイデンティティや性的オリエンテーションまで、何もかもが自由に選べる。その一方で、選ぶことのできない何かについての希求も高まる。 

もちろん、僕たちの目に入っていなかったのはマイノリティだった。そのことに関しては、何をどう言われたって仕方がない。メインストリームからの離脱が自由にできると夢想する一方で、マジョリティの世界から差別されている人たちの運命や苦悩がまったく目に入っていなかったのだから。あのとき、それがわかっていたら…、いや、そんなことを言っても仕方がない。言い訳にしかならないし、そもそも、「それがわかっていた」としても、僕たちはおなじ間違いをしたに違いない。問題はフレームワークが間違っていたことで、ちょっとしたボタンの掛け違えなんかじゃない。まあ、ボタンの掛け違えというのもそれはそれで厄介なものなんだけど。 

ともかく、それで、コミュニティの話になる。アイデンティティの一部としてのコミュニティ、地域のつながりを通じての自己実現、そんなものをつくって、人を釣ろうとしていたのだ。それはバラバラの個として社会の寒風にさらされる人々に必要なものを差し出すことになるし、それへの希求の力によって社会を動かせるし、さらにはその連帯を通じて資本とも対抗できる。悪いことなんか何もないように見えた。 

もちろん、何も考えていなかったわけじゃない。ナショナリズムの危険性はそれなりにわかっていた。だから、話はそこから遠そうなところから始まった。たとえば、ITを通じたコミュニティ。あるいは、流動的な市民運動、そしてスポーツを通じた地域交流。安全な回路を通じてのアイデンティティの希求への誘導。要するに、インターネットと薬害エイズとJリーグだ。それを作ったというつもりはない。だけど、90年代の初頭にそういうものが出ていた時、飛びついたのは俺たちだった。プライベートな時間を割き、それを趣味にした。世間の人々も、いろいろな理由でこういう活動に入ってきた。人生のすべてを活動を中心に組み立てる人すら現れた。

 最初のうち、何もかもがうまくいった。ナショナリズムもコントロールできていた。Jリーグは地域を中心に発達し、ナショナルチームの活動はリーグ宣伝塔として機能した。サイモン・クーパー、あの世界で一番ナショナリズムとサッカーの関係について敏感で、アヤックスですら情け容赦のない批判の対象にした彼ですら、日本のサッカーシーンを見て「これは、週末のナショナリズム、罪のない無害なナショナリズムだ」と言ったくらいだ。だけど、結果からみればそれは間違いだった。 

たとえば、ネット文化は敵意を中心に結集するコミュニティを生み出した。その代表例が在特会であることは言うまでもない。薬害エイズ拉致問題を経て嫌韓流へと流れこみ、草の根の市民運動は新しい教科書を作る会や日本会議を生み出した。Jリーグ熱はいつしかワールドカップ至上主義に転化し、ニッポン、ニッポンの大合唱が社会を覆った。その背後にあったのは、根強いナショナリズムと社会の貧窮の急激な表面化だ。「世間の人々のいろいろな理由」はだんだんそういうところに収束した。格差と不満が急速に激化するなかで、僕たちが始めた火遊びは手の付けられない暴走に変わっていった。

ある世代が抱いた夢がこれほどひどく裏切られることがほかにあったのかどうか、僕は知らない。というか、他との比較はどうでもいい。問題は起こってしまったことにどう対処するかだ。間違いをどうにかして正さなくてはいけない。そして、僕らは未だにネットを通じたつながりによって問題に対処しようとしている。ツイッターでカウンター情報を流し、フェイスブックでイベントを作っている。性懲りのない阿呆であるという以前に、たぶん、ほかのやり方を知らないのだ。たぶん、この風潮を僕らは墓場まで持っていくのだろう。というか、それができればいいと思う。自分たちが生み出してしまった災厄を、自分たちとともに葬り去ることができるとしたら、たぶんそれは望みうる結果の中でも最善ということになるだろう。

朝鮮人虐殺と山崎今朝弥

「実に日本人という人種はドコの成り下がりか知らないが、実に馬鹿で臆病で人でなしで、爪のアカほどの大和魂もない呆れた奴だと思いました」。 
これは明治から昭和にかけて活動した弁護士、山崎今朝弥が関東大震災朝鮮人虐殺について書いた文章の一部だ。山崎は大杉栄の弁護士にして友人で、布施辰治とともに多くの社会主義運動家の弁護もしている(金子文子と朴烈の弁護にも加わっている)。
山崎はまた、大変な悪戯者でもあった。権威、権力というものに違和感があったらしく、機会があればふざけずにいられなかったようだ。若い頃、信州で開業していた時には、営業広告に「弁護士大安売」というタイトルをつけ、「山崎博士法務局」を名乗っていた。
もちろん、彼の事務所は民間の機関で、学位は法学士である。「これはヒロシと読んでただの通称だ」「民間機関が『局』と名乗っていけないという理由はない」というのが彼の言い分だったらしい。
また、後に山崎は「平民大学」という法律講義のシリーズをやっているのだが(安価に法知識が得られるので人気があったらしい)その講演会が警察の手によって中止させられた時、「警察署長に『この野郎』と呼ばれ、名誉を棄損された」と言って正式に告発したりもしている。諧謔を反体制に利用しているのか、ふざけすぎて反体制になっているのか、ちょっとよくわからないところがある。善意に解釈するならば、権力があまりにも理不尽で、馬鹿馬鹿しすぎて真剣にやる気になれなかったのかもしれない。
が、その彼が全く冗談抜きで真剣に激怒していたことがいくつかあり、その一つが関東大震災朝鮮人虐殺だ。事件の全体像について、彼はいつもの調子でこのように述べる(なお、この文章は関東大震災の3か月後に書かれている)。「…大杉事件でも亀戸事件でも、自警団事件でも朝鮮人事件でも、支那人事件でも日本人事件でも、直接の下手人はことごとく個人としての暴漢凶徒に相違ないが、深くその由って来る処に遡れば、真の責任者は皆地震であり火事である。伝令使であり無線電話である。内訓告諭であり、廻章極秘大至急である。戒厳令でありその当局官憲である。その無智であり流言蜚語である。仮に地震がなく火事がなかったら、廻章も伝令も無線もなく、流言蜚語も起こらず戒厳令もなかった。戒厳令もなく軍隊も出なかったら、機関銃も大砲もなく、銃剣も鉄砲も出なかった。人気も荒まず、大和魂も騒がず、流言蜚語も各々その範を越えなかった」。
形の上では自然災害に原因があるようなことを言っているのだが、もちろん、彼が言いたいのはそのことではない。災害と暴徒を結ぶその中間項、軍と官憲をうまく批判しているのだ。
実は、山崎がさらに怒っているのは、事件の後でも「朝鮮人が火をつけている。井戸に毒を入れている」という類の流言飛語をなお信奉している連中のことだ。それについて彼はこう評論する。「あの風説を風説にあらず、事実なりと信ずる者もある。この信者の大部分は、あくまでその非を遂げんとする者(第一種)、保険金欲しさの者(第二種)、かく信ずることが国家のためなりと妄信する者(第三種)、であるが、稀には心底からこれを信ずるらしくいう者(第四種)もある」。
どうだろう、1923年にこういう人たちがいたようなのだが(山崎は実例も挙げている)、その輩は今も存在していないか。そして今も存在しているといえば、虐殺の存在を否定しようとする者たちだ。山崎は言う。「どうしてそれが隠蔽しおおせると考えるか。立て、座れ、ドンドン、ピリピリ、南葛で機関銃を見たものは千や二千の少数ではない。帰順した如く見せかけて帰国を許された、金・鄭・朴・李の人々も、百や二百ではあるまい。僕の処へ寄って直ぐ上海へ行った人でさえ四、五人はある。僕にはこれをその筋へ密告したり、突き出したりする大和魂はなかった。秘そう蓋をしようはまだ無智の類、馬鹿の類で、いささか恕すべき点がある。理が非でも、都合があるからどこまでも無理を通そう、悪いことなら総て朝鮮人に押し付けようとする愛国者、日本人、大和魂、武士道と来ては真に鼻持ちならない、天人共に容さざる大悪無上の話である」。
正直なところ、山崎にはいささかナショナリストのきらいがある。それは彼一流の諧謔で、危険な世論から身を守るためのポーズだという雰囲気もあるのだが、明治生まれの知識人らしく、それが本音だった部分もあるのだろう(のちに徳田球一から絶縁されたこととそれが無関係だったとは思われない)。しかし、それでも(あるいはそれだからこそ)、彼の評論は輝きを失わない。そして「どこの成り下がりか」と彼が罵倒した日本人の人でなしぶりは、関東大震災からもうじき100年になろうとする21世紀にも顕在である。

(文中、引用はすべて山崎今朝弥『地震憲兵・火事・巡査』(岩波文庫)より)。

「超過死亡」の信憑性について

だいたいの内容

  • 「超過死亡って信用できんの?」という件を考えました。
  • 新規感染数、死亡件数と比較してみました。
  • 断言はできませんが、関連はあると思います。

超過死亡のデータを検証します

「超過死亡件数を計算してみたところ、死亡件数は公表値の2-7倍」という記事を前に書きました。計算したらそうなったのですが、「それ本当?」「政府も信用できないのにお前信用できんの?」というのが正直なところではないかと思います(僕もちょっとそう思ってます)。

なので、今回は公表されてるデータも使ってちょっと検証してみたいと思います。

新規感染数と公表された死亡数の関係を見ます

新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のデータは各都道府県が中心になって公表していて、厚生労働省NHKがそれを集計しています。データは色々ありますが、今回は新規感染者数と死亡件数を見ます。データはNHKCSVファイルを提供してくれているので、それを使います(2021年2月21日閲覧)。

まず見ていただきたいのは、こちらの大阪府の新規感染者数と死亡件数のグラフです。

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大阪府の感染、死亡件数のグラフ

「何かよく似てるな」「感染者の一部が亡くなるんだから、似てて当然だよね」くらいで、正直よくわからないですよね。では、2つのグラフを重ねてみます(新規感染件数は左の目盛り、死亡件数は右の目盛りです)。

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大阪府の感染件数と死亡件数の重ね合わせグラフ

今度は分かるようになりました。死亡件数は新規感染件数よりひと月遅れて変動しています。たとえば、新規感染件数は6月から8月にかけて増えていますが、死亡件数は7月から8月にかけて増えています。また、11月から12月にかけて死亡件数が増えていますが、感染件数はそのひと月前の10月から増え始めています。
ただ、ここで4月の増加に関しては注意が必要です。4月には死亡件数が増えているのですが、新規感染数はそのひと月前ではなくて、同じ4月に増えています。これは、2月にかなりの感染数があったけれども、それを検査で知ることができなかった、ということだと考えていいでしょう。その証拠に、新規感染件数は5月に減りますが、死亡件数が減るのは6月です。

同じような現象は他の府県でも見られます。例えば、下は埼玉県のデータです。

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埼玉県の新規感染件数と死亡件数のグラフ

6月以降に注目すると、死亡件数のグラフが新規感染件数のグラフの変化をひと月遅れで追っていることがわかります。

超過死亡は1.5から2ヶ月以上遅れて出ています

では、超過死亡はどうでしょうか。下は東京都の例です。

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東京都の新規感染件数と超過死亡件数のグラフ

4月以前の超過死亡のデータを無視すると、4月の新規感染ピーク→6月の超過死亡ピーク、7-8月の新規感染ピーク→9月の超過死亡ピークというふうに、1.5~2ヶ月遅れて出ることが分かります。

同様の例は京都府のグラフでも確認できます。

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京都府の新規感染者数と超過死亡件数のグラフ

4月の新規感染ピーク→6月の超過死亡ピーク、8月の新規感染ピーク→10月の超過死亡ピーク、という関係が見られます。先程の新規感染数と公表された死亡数の場合ほどグラフの形は似ていませんが、これは「公表された死亡のほとんどは新規感染数に含まれるが、超過死亡には新規感染者にカウントされていない人がかなりいる可能性がある」という事実によって説明できるかもしれません。なので、計算できた超過死亡件数は、新型コロナウィルス感染症の流行と何らかのかかわりがある、と僕は思います。

相関までは断言できません

では、感染と超過死亡の間の関係について何が言えるのか…というと、残念ながらはっきりしたことは言えない、というのが今のところの結論になります。


その理由は、ひとつに、超過死亡と公表された死亡数の関係がはっきりしないからです。ピークがずれて出る理由が僕にはよくわかりません。超過死亡のもとになる人口推計では、死亡数は死亡届に基づいて把握されているわけですが、これは埋葬の関係上、実際の死亡日から極端に外れることはないはずです。となると、もう一つの可能性は公式統計におけるコロナ関連死の見落としですが、これに関して何かの証拠があるわけではありません。
また、公表された死亡件数と計算した超過死亡件数の間にも、安定した比例関係は見つけられません。統計的な検証に耐えられるとも思えません。

というわけで、相関関係も因果関係もわからないので、はっきりしたことが言えないというのが結論です。

ただ、では何も関連がないのかというと、新型コロナウィルス感染症と関係のない理由によって、基準値を超えた死亡が流行の後に出る、という解釈も無理があるように思いますので、そちらも言えないと思います。

関連があると解釈します

というわけで、断言はできないのですが、僕はこの計算による超過死亡が新型コロナウィルス感染症の死亡をとらえている、という仮定を置いて話を進めようと思います。ただし、これは仮説にすぎず、間違いだったと証明される可能性が常にあります。このことを念頭に置いていただけるとありがたいです。

 

データ公開します

 今回作った6都府県のデータとグラフ、グーグルドライブに置きました。

ブログ用新規感染との関連.xlsx - Google ドライブ