エルサレム賞に関してもう少し

ところで、僕はエルサレム賞に関して、何を知っているだろう?
それがイスラエル最大の文学賞であり、イスラエルの有力新聞とかが噛んでいて、エルサレム市長とかも列席する中で授与されるということだけだ。

言うまでもなくエルサレムパレスチナイスラエルが領有をめぐって係争し、それどころか過去半世紀以上にもわたって血腥い戦争を繰り広げてきた土地であり、イスラエルパレスチナに対して相当疑問のある経済政策や軍事行動を取っている国で、イスラエル国民はその多くがそうした政府の行動を支持している人たちだ。
だから、エルサレム賞というのはまことにいかがわしく、その受賞を辞退して当然のように見える。だけど、果してそうなんだろうか?というか、それで良いんだろうか?

たとえば、僕だったら、中国の人に「お前は日本人だから南京虐殺を否定しているんだろうけど、あれはな」と言われたりしたら、相当悲しい気分になる。その辺は一応勉強したんだけどな、ステレオタイプで見ないで、まず話を聞いてくれ。色々な人がいるのを知ってくれ、という気分になるだろう。

エルサレム賞をめぐっても、もしかしたら同じようなことがあるのかもしれない。可能性は低いが、もしかしたら親パレスチナ系の人たちがやっている賞かもしれないではないか。
そういうことを知る前に何かを言うのは(まあ、僕もそうなんだけども)、「あれはアカだから」というような台詞を吐くことと大差ないし、いや、たとえ善良な心から出た賞であっても政治的なアピールのために否定すべきだ、という考えであるのなら、それはそれで立派な考えだとは思うが、ちょっと抵抗があることになろう。

というわけで、今さら感一杯ながら、ちょっと当ってみました。

当然のことながら、検索結果は大半が村上春樹関連のもの。時点がスーザン・ソンタグ関係で、この二つが何枚も何枚も続く。まず見付けたのは、例の受賞演説の全文だ。

ソンタグ講演、その一
ソンタグ講演、その二

正直なところ、これはものすごい名演説だと思う。ほとんどこれで仕事は終ったような気さえする。だけど、やっぱりちょっと書いておこう。ソンタグは確かにこの演説で政治的なアピールをしている。以下のような部分だ。

わたしは集団的な責任に基づいて集団的な処罰を加えるという理論は、軍事的にも倫理的にも根拠がないと考えています。市民の生活の場の近くで行われたものかどうかを問わず、敵対的な軍事行動への処罰として、市民にバランスを失した砲撃を加えること、市民の住宅を破壊し、果樹園を破壊すること、市民の生計のもとを奪い、職場、学校、コミュニティに赴けなくすることは、軍事的にも倫理的にも根拠がないと考えるのです。

けれども、それだけではない。例えば、エルサレム賞に関して、彼女は次のように言っている。

わたしはイエルサレム賞を受賞したことに感謝しています。わたしはこの賞を、文学の営みに真剣に取り組んでいるすべての人々の名誉のために受け取ります。
単独者としての声と、真理の複数性で作り上げられた文学の創造のために苦闘しているイスラエルパレスチナのすべての作家と読者を称えて、この賞を受け取ります。わたしは傷つき、怯えているコミュニティの平和と和解の名において、この賞を受け取ります。

平和が必要です。譲歩と新しい取決めが必要です。ステレオタイプをやめることが必要です。対話を続けることが必要です。わたしは国際的なブックフェアが後援している国際的なこの賞を、国際的な文壇の名誉を称える出来事として、頂戴いたします。

これは、何というか少なくとも賞そのものに対して異議のある人の発言ではない、ように見える。
ではエルサレム賞とはいかなるものなのだろう。wikipedia(英文)に概要がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jerusalem_Prize
それによると、この賞はエルサレムブックフェアで二年おきに送られるもので、

writers whose work has dealt with themes of human freedom, society, politics, and government.

あ、なるほど、である。自由、社会、政府というのはまさに村上春樹のテーマだ。それはとても良くわかる。過去の受賞者には、ラッセル、ボルヘス、パス、グリーン、クンデラ、バルガス=リョサ、ミラー、ソンタグなどがいる。何というか、文学賞としては極めてまともに見える。

では続いてブックフェアのサイト。賞のところを見ると、委員会は確かに市長が任命するようだ。エルサレムの市政について我々は何も知らないが、まあ反主流的な賞とは考えにくく、その点はかなり「うーん」な感じである。ただ、賞の趣旨については

authors whose writings have expressed the idea of the individual’s freedom in society.

と明記していて、これを村上春樹に送りたい、というのは話としては良くわかる。ただ、イスラエルでやっているということを除いては。


あと、最初に表示されるintroductionを見ると、これはとても大きなイベントで、みたいなことの後に、

The year 1995 marked the first time we had participants from the Arab world, including Morocco, Egypt and Jordan, and they have continued to attend the JIBF in ensuing years. At the February 2005 JIBF, Palestinians, Arab and Israeli writers participated in a unique literary enounter attendedby numerous publishers, editors and writer from around the world.

というようなことが書かれている。もちろん、ここに出ているパレスチナ人というのがどんな人なのかは全然わからないが、ともかくもそういうことを彼らは主張している。

色々と並べたのだけど、結局のところは「よくわからない」ということに尽きる。ただ、ソンタグの下記の発言は重い。ボイコットを呼び掛ける人は、この発言の意味するところについて、良く考えておくべきだろう。

文学の叡智とは、たんなる意見をもつこととは正反対のことです。ヘンリー・ジェームズは「なにかについて、これが最後の言葉だというようなものはない」と言ったことがあります。尋ねられて意見を述べるということは、それが適切な意見だとしても、小説家や詩人がやっている最善の仕事、省察を深め、複雑さを感受するという仕事を安っぽいものにしてしまいます。

わたしたちに意見を述べさせるのは、有名人や政治家たちに任せておきましょう。作家であることと、公的な意見を述べる声であることの両方を遂行することに意味があるとすれは、作家は自分の意見や判断を作り上げることは重大な責任を伴うものだということを肝に銘ずるべきでしょう。

作家は誰かに何かをしろと言われるべき人たちではない。僕にはそういう主張に読める。

【後日付記】
ブックマークからリンクされていたこの記事http://anond.hatelabo.jp/20090130040254に多くを教えられた。id:mnemoさん、ありがとうございます。リンク先でのソンタグの評価には同意しかねますが、それはともかく。

【後日付記2】
関連記事をもう一本書きました。http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090130/p1