「ドネツクの虐殺」について調べたこと

 

2014年にウクライナ東部で、ロシア系住民の虐殺が行われたという話があります。「ドネツクの虐殺」と呼ばれるこの事件は、ウクライナ民兵(国家親衛隊)によって起こされたとされ、今年(2022年)2月に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻の理由を説明するものとされることがあります。
この件について、正確なことを知りたいという気持ちが高まってきたので、少し時間を使って調べてみました。

まず、どんな話が流通しているのか、典型的と思われるものをリンクします。「日本のマスコミが黙殺するウクライナ東部の大虐殺」という記事です(あとで解説しますが、この情報は真実でない可能性が非常に高いです。ご注意ください.)。
https://www.kazan-glocal.com/official-blog/2014/11/24/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%81%8C%E9%BB%99%E6%AE%BA%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%9D%B1%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%A4%A7%E8%99%90/

 

かいつまんで説明しますと、ここには次のような情報が含まれています。

  • 2014年10月4日、ロシアのラブロフ外相がウクライナ東部で400人以上の人が埋葬された集団墓地が見つかり、これは戦争犯罪であると述べた
  • 最初に発見されたのは9月23日で、場所はドネツク近郊のコンナムル村である
  • 犠牲者は男性1人、女性3人である遺体には戦争犯罪を示す跡があった
  • 郊外のニジニャ・クルインカ村の炭鉱場敷地内でも複数の遺体が見つかった
  • 9月26日までに40の遺体が見つかった安保協力機構(OSCE)、国連人権高等弁務官事務所(引用者注:OHCHR。リンク先にUNHCRとあるのは誤りです)も調査を行った
  • ロシアのリア・ノーボスチ通信社がこれに関する報道を行った
ここで背景を確認しておきますと、2014年というのは、年初からウクライナでマイダン革命と呼ばれる親ロシア政権に対する市民の抗議/騒乱/革命があって政権が倒れ、その後2月にロシアがウクライナ領のクリミア半島に侵攻して併合、さらに4月以降はウクライナ東部のドンバス地方でロシアへの編入を求めるロシア系住民の蜂起があり、その武装組織(ドネツク民共和国とその軍と自称)とウクライナ軍およびウクライナ民兵が事実上の戦争を始め、その状態が秋まで続いた、という年でした。その中でこの虐殺の話ができたわけです。
さて、改めて確認すると、先の記事でも触れられていたOSCEとOHCHRの報告書がネットで公開されていました。OSCEの最も詳しい報告は2014年9月26日のものです。第8段落目にあります。
https://www.osce.org/ukraine-smm/124216
「『ドネツク民共和国』(訳注:DPR, Donetsk People’s Republic)の『軍警察』がSMM(訳注:OSCEのスペシャル・モニタリング・ミッション)に複数の遺体を収めた未登録の墓地が発見されたと連絡してきた。そのうちの二つはNyzhnia Krynka村(ドネツク北東35キロ)のKomunar炭鉱の中にあり、ひとつは村の中にある。SMMはそれぞれ50m離れている炭鉱の現場視察を進めた。それぞれに2体の死体があり、腐敗が進んでいた。SMMは、また、遺体から約5mのところに9ミリのマカロフ拳銃の薬きょうを発見した。村の道路の終点の近くに、SMMは墓のような盛り土を認めた。文字盤をつけた棒がさしてあり、ロシア語で5人の氏名(またはイニシャル)を含む文字が書かれていた。文字盤は人々が2014年8月27日に死亡したことを示していた。文字盤の最上部には「プーチンの嘘のために死す」という碑文が書かれていた。炭鉱および村のどちらでも、SMMは犯罪捜査の専門家には出会わなかった。
コメント:SMMはこの現場に犯罪捜査を提供することはできない」
OHCHRも2014年11月15日にレポートを出しています。下記からたどれるPDFの5ページ、パラグラフ番号7にあります。
https://www.ohchr.org/en/documents/country-reports/report-human-rights-situation-ukraine-3
かいつまんで言いますと、埋葬箇所は3か所で、埋葬された人は9人である、という内容です。
さらに探すと、国際人権団体のアムネスティも現地を査察して報告を出していました。下のリンクからPDFファイルがダウンロードできます。
https://www.amnesty.org/en/documents/eur50/042/2014/en/
報告書の12ページからがこの事件に当てられています。アムネスティはまず9月23日にロシアのテレビでこの件が報道された、と述べていますが、その内容はKomunar とNyzhnya Krynkaで三か所の埋葬地が発見され、うち4人は女性、戦争犯罪の形跡があり、さらに40人の遺体が発見、外相が400人の犠牲者がいると述べた、というものです。これは冒頭で紹介した日本で知られている記事と同じ内容ですので、問題の記事のソースがロシアのテレビであることが分かります。
以下、報告書を少し訳します。
アムネスティの国際代表団は9月26日、墓地の発見直後に現地を訪ねた。地元住民、地元当局、この地方で作戦行動をしているDNR(訳注:ドネツク民共和国、Donetskaya Narodnaya Respublika)兵士、発掘を目撃したジャーナリストへのインタビューによって、代表団はキエフ政府配下の軍隊が少なくとも4件の超法規的処刑を行ったことを発見した。しかしながら、いくつかのDNRの情報源と、ロシアの放送局、そしてロシア当局そのものが、発見された遺体の数と犯された戦争犯罪の規模を大幅に誇張したことは明らかである。アムネスティ・インターナショナルは合計9体の遺体を収めた3つの埋葬箇所を確認できた。遺体のうちつは、敵対的行為の中で殺されたDNRの兵士であるとみられる。二つの埋葬地点から発見された4つの遺体は、現時点ではキエフ政府配下の軍によって超法規的に処刑されたという強い証拠がある」
以下、報告の内容を要約します。
  • 村の墓地から発見された5人の遺体は、DNR軍の偵察隊のメンバーのもの(同僚が確認)。戦闘中に死亡したか、捕虜となってから殺されたかは不明。
  • 炭鉱から発見された4人の遺体は全員男性で、近くの村の住民のもの。いずれもDNRの支持者として知られた人たちで、8月から9月にかけて行方不明となった。
  • この地域は8月16日から9月22日までキエフ側の軍隊によって占領されていた
従って、この件は
ということになります。アムネスティのこの結論を疑うべき理由は僕には発見できません。
そこで、次の問題は「40人」「400人」というような数字がどこから出てきたのか、ということです。検索していくと、この件に関して、「ラジオ・フリーヨーロッパ/ラジオ・リバティ(RFE/RL)」という微妙なメディアの記事が見つかりました。微妙、というのは名前からもわかる通り、このメディアはアメリカ政府が出資している放送局だからです(局自体は「われわれは政府から独立している」と主張しています)。ですので、100%信用できるというわけではないのですが、とりあえず記事がこちらです。
Murders and Gang Rapes: Moscow Spins OSCE Probe Into Ukraine 'Mass Graves'
RFE/RLによれば、一連のロシアでの報道のソースになっているのは、「OSCEの専門家」として紹介されるEinars Graudinsさんというラトビア人の方なのだそうです。しかし、実際にはこの人はOSCEとは関係がない活動家で、親ロシア、反移民の活動を行っておられる退役軍人のようです(こちらに紹介があります)。
https://www.fakeobservers.org/biased-observation-database/details/einars-graudins.htm
しかも、この方がコメントしたのは、400人が殺されたということではなく、ドネツクの遺体置き場には400の行き場のない遺体がある、ということだったようです。それが、どこかのプロセスで「400の遺体が発見された」という話になったようです。
当時、戦闘のために多くの犠牲が出て埋葬の見込みがつかず、遺体置き場に多くの遺体が滞留してしまったというのは事実らしく、アメリカのジャーナリストの人がそういう記事を書いています。
https://authory.com/ChristopherMiller/Luhansk-Ukraine-City-of-Ghosts-ad1628c617c5347359a2cab8594d55a26
また、この2014年に戦争犯罪が多発したことは事実らしく、これ以外にも様々な勢力による不法な民間人や捕虜の殺害の報告書が見つかりました(規模はおおむね数人というところのようです)。

というわけで、疑えばきりがないのですが、合理的に推測すればこの件は

  • 戦争犯罪
  • 犠牲者は4-9人
  • 何らかの理由で誇張された
ということになるかと思います。以上です。