5. ナラティヴへの政治

1993年のオスロ協定で暫定自治が合意され、西岸とガザがパレスチナ人の手に戻されたことになった後も、基本的な状況に変化はなかった。96年の時点で、サイードはこう書いている。

オスロ合意後の西岸の地理は、頭がおかしくなるほどに複雑であるが、三つの地域からなっている。…A地区は西岸のほぼ一%しか占めていない。それはラマラと五つの主要な町、ただしヘブロンを除く、である。この地区はパレスチナ政府の管轄下にある。B地区は四〇〇の村の連鎖からなり、農業地帯と隣合っていて、全体の二七%を占めている。これはイスラエルが管理し、パレスチナ政府はきわめて稚拙な補佐役でしかない。C地区は入植地域であり、連結道路か「バイパス」が走っていて、完璧にイスラエルのものである。それは計算してみると、およそ七二%を占めている。…困ることは、A地区から他のところへ移動するさいに、どうしてもB地区を通らなければいけないことだ。そのため三月初め、イスラエルはA地区のラマラと、B地区のビールセートとの間を分断できたのである。ちなみにビールセートには、西岸の中心となる大学がある。…ガザに出入りするのも、イスラエルの管理を受けなくてはならない。

エドワード・サイード、「戦争と平和のあいだに迷いて」『パレスチナへ帰る』、四方田犬彦訳、作品社(p66)

言うまでもなく、これは自治ではない。もちろん、実際にはさまざまな行政機能がパレスチナ側に渡された(そしてアラファトの政府はそれをうまくコントロールできなかった)のだが、大局的にいえば、手足を縛っておいて、まずく行ったら責任を取らせるよと言っているのと大差はない。そして実際のところ、まずく行ったら…の原則はいかんなく発揮されたのだった。イスラエルは02年に西岸で自治政府を攻撃し、06年の選挙でハマスが政権を握ると、アメリカと共同でファタハが超法規的に自派の政権を組織するのを容認・支援した。親イスラエル路線であるかぎりは容認するが、そうでなければ抹殺するという方針である。そして08-9年にはハマスと支持基盤を壊滅させるべく、ガザを徹底的かつ非人道的に攻撃したわけだ。

このような非道な政治に対して、僕らは何を言えるだろう?

実は、あまりスケジュールを気にせずに書いているので、この文章を記している時点でエルサレム賞のイベントが進行しているはずだ。そこで何がおきたり、起きなかったりするのかということについては、基本的にここでの主張と関係はない。もちろん関心はあるし、村上春樹という作家の思考を導きのひとつとすることに変りはない。だけど、僕がどう考えるかということは、それとは別のことだ。関わりを持ってしまった以上は一応最後まで追求すべきだと思うので、もうちょっと展開しておく。

肯定すること

まずひとつ、しっかりと確認しておかなければならないのは、人道を目的とする政治が必要であることだ。人々が無惨に殺害されること、尊厳が否定されること、生活の基盤が破壊されること、その事態が継続すること、その事態が何世代にもわたって持続したまま放置されることは、断じて容認されてはならない。そのようなことに対して、その都度しつこいくらいに抗議するのは必要なことだ。僕は前に政治ゲームと書いたのだが、それはプレイされ続けなければならない。さもなければ、世界は残忍なものたちの荒し場になってしまうだろう。ただ、それだけではないと思う。

イスラエルに対する抗議をあらゆる方法で行うことは重要なことだ。それには大雑把に言うとみっつの側面があると思う。そのひとつは、我々はイスラエルの行為を容認しないという意思表示をおこなうことである。それはとてもよいことで、そのような形で我々の社会が持っている/持ちうる良心を表明する人がいてくれることを僕はとても肯定的に捉えている。もうひとつは、パレスチナの人々に連帯を示すことである。これも、もちろん重要なことだ。パレスチナの人々は自らの生存をかけて闘っているのであり、それを肯定し支援する者がいなかったとしたら、彼らは想像を絶するような孤独に陥いってしまうだろう。僕たちは、人類は、そういうことをしない。それを示すのである。そして第三は、イスラエルを不快にさせて、行動をやめさせることだ。デモをし、署名を集め、商品やイベントのボイコットを呼び掛けることで、彼らに非人道的な行為をやめさせるのである。

この、第3点めのことを考えるたびに、僕はベトナム戦争を扱った本の一節を思い出す。タックマンの冷静な批評だ。戦争中、アメリカ軍は北ベトナムの行動を変えさせるために、「懲罰的」な爆撃を行なった。

太平洋軍司令部は、人間行動についての計算された『ストレス理論』に従い、計算された苦痛にもとづいて、爆撃の懲罰的レベルを上げつづけた。ハノイは『ストレス』に反応して、それを生み出した行動をやめるはずだった。『われわれは、彼らが理性のある人間のように反応するだろうと予想している』と、のちに国防総省のある役人が言った。…理性的に反応する代りに、ハノイは人間的に反応して、怒り、挑戦的になった。(バーバラ・W・タックマン、『愚行の世界史』大社淑子訳、朝日新聞社、p374)

人間は、実験動物のようには振る舞わない。実験室でそうなることはあるかもしれないが、現実の社会では違うのだ。イスラエル人たちは、海外からの猛抗議を苦痛に感じ、反省して行動を変えるだろうか?
04年にイスラエルに滞在した四方田犬彦は、彼らの道徳的無関心の状態を報告している。

だがイスラエル社会を真に見舞っていたのは、経済的な意味での疲弊だけではなかった。人々はすでに道徳的な意味で疲弊の極致にあるように、わたしには感じられた。それは一言でいうならば、無感動である。彼らは眼と鼻の先で、みずからの同胞が虐殺と破壊を続けていることに、ほとんど無関心であるかのように振舞っていた。…たまにわたしが話を振り向けると、巧みに話題を逸らし、シャロンにも困ったものだとか、外国人にはわからないことですよというばかりだった。それ以上のことをわたしが尋ねようとすると、外国人にはわからないことですよと韜晦するか、でなければひどくヒステリックな口調になって、自己弁明じみた議論を延々を続けるのだった。

四方田犬彦、『見ることの塩』作品社、p56

前に見たイスラエル在住邦人の方の日記からも、アパシーが蔓延していることは伝わってきた。外部からの抗議はその空気の中に飲み込まれてしまうのではないか、と僕は思う。そもそも、パレスチナ人を排除してユダヤ人だけの国をつくる、というのはイスラエルのナショナル・アイデンティティの重大な一部なのではないか。相当のものすごい強制によるほかはないのではないか、と僕は思う。平たく言って、そんなことは不可能だろう。
ちょっと話が逸れるのだが、パレスチナ問題の解決を考えるには、イスラエル人のことを計算しておかなければならないだろう、と僕は思う。道徳的にどんなに不快であっても、それはなされなければならない。たとえば、難民の帰還権の話がある。もちろん、その権利は非常に重要なのだが、そこには人が住んでいるのではないか。もし、48年に不当に奪われたとすれば、今年で60年目になる。それは日本で言えば昭和23年から今までの長さで、下手をすると祖父から曾孫までの4代が暮している、というようなことがあるのではないか。それは罪の生活ではないか、正常化するためにまずイスラエル人が退去すべきだ、というようなことを言う人がいるし、その正しさは疑問の余地がないのだが、現実には難しいのではないかと僕は思う。退去を命じられた人は命をかけて抵抗するだろうし、「こちら側」の人々は彼らを力で排除しなければならないだろう。僕は、それは不毛な解決策なのではないかと思う。


とはいえ、パレスチナ側にナクバのこと、土地のこと、帰還のことを忘れろというのも無理だろう。少し文脈が違うのだが、再びサイードから引用してみよう。92年の状況だ。

ジャバリャ・キャンプは、わたしが見た場所のなかでもっともすさまじいところだった。…統計を見ると、まさに悪夢だと思いたくなる。乳児死亡率最高、失業率最高、一人当りの年収最低、夜間通行禁止、医療設備はほとんどなし、などなど。ラジはジャバリャでわたしと話してもらおうとして、二〇人ほどの人をあらかじめ集めていた。…われわれが彼らと会った家は、内部は染みひとつないほど清潔だったが、その周囲はというと、木材と泥とブリキを合せて建てた貧しく小さな家屋ばかりで、まるで沢山の空箱が積み上げられているように見えた。区画整理も、景観化も、環境美化も、ここではいっさいなされていなかった。たとえばこの場所の外観を変えることも、滞留して腐敗した汚水を排水することも。家屋を改築することも、禁止されている。いや、ほとんど不可能な許可を必要としている。

パレスチナイスラエルヘ帰る」『パレスチナへ帰る』、四方田犬彦訳、作品社(pp.48-9)

こういう目に日常的に合っている人々に、許せとか現状を受け入れろとか言うのは限りなく不可能なことだろう。言うまでもなく、彼らを難民キャンプに追いやり、何もかもを禁止し、生活を著しく不快なものにしているのはイスラエルなのだ。それを何か自業自得のようなこととして考えることはできないし、彼らの要求を理不尽な、あるいは不合理なものとして退けることはできない。暴力を容認するわけではないが、それしか手段がないという状況にあることは疑問の余地がない。彼らがどんなことをされてもその信念を変えないということは、ここ60年間の状況を見ればすぐにわかる。いかなる軍事行動も、政策も、管理も、パレスチナの人々の闘争を止めることはできなかった。
そして繰り返すが、奪われていることは、それ自体否定的なものであるとはいえ、彼らのアイデンティティの一部なのだ。それを否定すること、記憶を消しさるように要求することは、暴力のなかでも最悪の種類のもののひとつだと言えるだろう。

そのようにして僕らは行き詰まる。というか、そのように見える。双方が争いを繰り返し、互いに一歩も引かない。どうしようもない。

それは基本的にまったくその通りで、何も希望もない。だけど、と僕はちょっとだけ思うのだ。それはもしかして、否定をベースに考えているからじゃないだろうか。今ある状況から何かを取り除く。双方、あるいは片方に何かを禁止する。そういう発想だ。全体の状況について云々するのはおこがましいので、自分のことを考えると、僕がまっさきに思いついたのはトム・クランシー方式だった。あの愚劣極まりない、それでいて不思議な魅力もある『恐怖の総和』に出てきたやつだ。エルサレムを国連の管轄下におき、ローマ法王庁の軍隊(スイス人傭兵!)が双方の引き離しを担当するという提案。要するに宗教的な問題だと捉えているところも痛いのだが、第三者なら暴力やら何やらを禁止できると考えているだけで充分に非現実的だ。皆殺しに近いことをやる気がある(あるいはそのような脅迫ができる)ならともかく、仲裁に入っても何もできはしないだろう。だけど、そういうことを考えてしまった。それは、平和を実現するには、これこれを止めさせなければならない、という否定の発想をしてしまったからだろう。

そうではなくて、肯定から入ることを考えなくてはならないのではないか、と思うのだ。というか、それ以外になしうることはほとんどないのではないだろうか。とにかく、当事者が自発的に行動を変えてくれなければどうしようもないのだ。その行動は正当なものかもしれないし、不当なものかもしれない。だけど、それはともかく、彼らは外部から強制されてその行動をやめるというような状態にはない。ならば、彼らの心を変えるしかない。そのためには、まず、彼らを否定することからではなく、肯定すること、理解し受容することから入るしかないのではないか。

ナラティヴの政治へ

もちろん、最終的な目標は和解なのだ。だが、それは単純な「昨日まではイケナイ子でしたね。今日からは仲良くしましょう」的なものではありえない。また、どちらかを一方的に悪者にすることも解決にはつながらないだろう。
だから、本当に救いはないのだ。争いはずっと続くだろう。だけど、もしわずかにでも希望があるなら、それは双方の記憶や言い分を物語・ナラティヴという形で具現化し、そのカタルシスを通じてすこしづつ修正し、ひとつのものに近付けていくことではないか。
僕が、当初からボイコットに反対していた理由はそこにある。イスラエルを悪者にすることは簡単だ。というか、現に彼らは悪い。そんなのにかかわりあいにならない方が良いのかもしれない。だけど、彼らは手を伸ばしてきているのではないか。そう思ったのだ。
そして、僕はナラティヴの力、ナラティヴによる救済を信じている。記憶が与えるものの重大さを信じている。それは、村上春樹という作家が、個人の自由を考えることから始めて、たどりついた結論のひとつなのだ。

パレスチナの人々とイスラエルの人々がナラティヴを語ること。語りあうこと。それが糸口になるのではないか。

【追*1】ナラティヴというのはもちろん、物語のことだ。ここでは基本的にパレスチナイスラエル双方の建国神話のことを意識している(それについては、この前の記事に書いた)。言うまでもなく、それらは対立している。そして、僕が知ることができるのだから、これまでもずっと語られてきたことも確かだ。だから、お互いに主張しあっても対立が助長されるだけに終るのかもしれない。その可能性は高い。
だけど、語り続ける中で何かのきっかけが出てくるということもあるのではないか。そう思うのだ。現実との矛盾点が意識されるようになるかもしれない。双方には色々な背景や考えの人がいるわけで、その微妙なばらつきの中から変化のきざしが出てくるかもしれない。そして何より、語ること、聞くことがもたらす閉塞感からの脱出。そういうことがありえるのではないか、と。
そしてまた、それはほとんど唯一のチャンスでもある。パレスチナイスラエルは同じ土地、同じ記憶を逆の側から共有しているパートナー、最も近しい他者なのだ。その記憶の一部を否定することはできない。また、相手を無視しつづけることは、不毛な争いを存続させるだけだ。【追】、

この状況のなかで、今、ナラティヴの力を活かせる機会があるのか、あるいはエルサレム賞の受賞を通じて作家が何かの働きかけができるのか/するのか、それは僕にはわからないことだ。だけど、ボイコットすること、我々はおまえと関係を持ちたくない、と告げることは、どんなに小さいにせよ、チャンスを活かす機会すら放棄することだ。そんなことを要求したくはない、と僕は思ったのだった*2
我々はあなたがたを否定しません、というメッセージ、あなたたち全てを肯定するところから解決策を考えます、というメッセージ。ここで発すべきものがあるとすればそれだ。僕はそう思う。聞いたふうなこと、妥当な正義についての考察、をすることのほうが遥かに簡単なのだけど、それはあまり有効ではないと思う。

というわけで、今回はもうひとつだけ引用して終る。このシリーズもあと一回だ。そういえば、エルサレムでは今、何がおこなわれているんだろう?

「逃げ切れない」と高橋は、その三日月を見上げながら声に出してみる。
その言葉の謎めいた響きは、ひとつの隠喩として彼の中に留まることになる。逃げ切れない。あんたは忘れるかもしれない。わたしたちは忘れない、と電話をかけてきた男は言う。

村上春樹、『アフター・ダーク』講談社文庫、p267

*1:ナラティヴのところがわかりにくい、という批判をもらったので、追記。ナラティヴに関してはこの記事http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090206/p4の最後のほうに書いた。不十分だけど。

*2:もちろん、機会があればパレスチナ側の賞も受けてほしいと思う