正義ではないかもしれないけど

21世紀の世界では、善意と攻撃、協調と対立、戦争と平和、自由と束縛、連帯と分断の区別があいまいになり、時に一体化している。そこでは平和のために戦争が必要になり、人道のために殺し、協調のために敵を作り、自由を守るために人を拘束し、それが市民の連帯の名のもとに正当化される。

たとえば、「内戦で大量虐殺が進行中の国がある。止めるには軍事介入しかない。だが、PKFに派兵すれば武装勢力から敵とみなされ、報復を受ける。テロリストが攻撃のために入国してくる可能性がある。いや、もうすでにそのシンパとなる可能性のある難民が国内にいる」というような状況だ。

そこでの一つの正解は「海外での人道介入に積極的に参加しつつ、テロ対策として出入国管理を強化し、通信を監視する」というものだ。それが答えであり、正義ですらあるかもしれないことは否定しない。

ただ、他の行き方もあると思う。それは、厳格よりも寛容を、原則よりも事情を、組織よりも個を、常に優先するものだ。

それは常にどんくさい。すっきりしない。成功は目立たず、目もくらむような失敗も多くなる。組織の中にいる個の事情も知る、という複雑な作業も必要になる。だけど、僕はその道を行きたいと思う。

まるでブログなかパレ!

昨日は「Osaka Against Racism! 仲よくしようぜ!パレード」に参加してきた。約600人が、御堂筋を淀屋橋から難波まで歩いた。終了直後の僕のツイート。

個人的にぐっときたのは楽隊から全然練習してなかったアリランが綺麗に流れたときと、参加者の人の一人が掲げておられた荊冠旗をみたとき。 あれはやばかった。差別とか、誇りとか、そんなことを考えて泣きそうになった。そして、頑張ろうと思った。参加してよかった。

本当に、ありがとう。

しかし、これだけでは何の事かわからないと思われるので、今日になって振り返った連続ツイートを以下に再掲。

もう、僕にとってはいかにナガク(法螺貝)を鳴らすか、という勝負だった。結果的には惨敗だったけど(ちゃんと鳴ったのは心斎橋手前での一回だけ)、まあそれはよかろう。幼稚園の運動会から始まって、身体を使うことがまともにやれた試しはないんだから(でもみなさんにはゴメン)。
今回の朝鮮王朝音楽隊は先週の火曜日に結成され、練習5日で本番に挑んだという、大変に大胆なあれだった。総指揮のSさんの情熱、音楽の才能にあふれ、努力を惜しまないメンバーの尽力で実現できたと思う(僕は才能の面でも努力の面でも例外だが、それはともかく)。 メンバーは、在日コリアン、韓国人、日本人と多様、職業も学生、実務家、大学教員、非正規と多彩だった。ある意味で、今回のパレードの趣旨を象徴するような構成だったと思う。
音楽面での貢献はいまいちだったので、途中から「いかにそれっぽく見せるか」ということを意識して歩いた。景福宮の衛兵交替みたいな、周囲の視線は意識しない、という感じ。やってると「日本の警察が速く歩けっていうのなんか関係ないな」という気分になってきて、我ながら可笑しかった。
今回のパレードでは、僕のような日本人が韓服を着て歩いたり、在日の人が浴衣で参加したりしてた。僕は、前は自分の民族の衣装でないものを着るのは倫理的にどうなんだろう、と思ったりすることがあったのだけど、やってみて良かったと思う。服の着方、紐の結び方、いろんなことが経験できたし、なんか、気持ちもわかった。「その人の靴を履いてみる」じゃないけど、そしてそんな形式だけのことが問題を解決するなんて言うつもりはないけど、ああいうのは悪くないと思う。
そして、そのうえでアリランのことがある。時々、楽隊からアリランが流れていたのを耳にとめてくださった方があるとうれしいのだけど、実はあれはちゃんと練習したのではない曲。ウンラという楽器を手にした在日コリアンのメンバーが、「あ、これ朝鮮の音階やん」といって、練習の合間に音を探り出して作ったナンバーなのだ。伝統や文化の重みを感じた出来事だった。そして、気分的には、みんなで合唱したかった。
そしてもちろん、裏方をやってくださった方々に感謝。メンバー集めから荷物の運搬、歩きながらの給水、冷却(!)まで、色々なことをやってくださった方々のお蔭で最後まで無事に歩けた。朝鮮王朝音楽隊は、そうやってかかわったみんなの作品だったと思う。そこに居ることができて、幸せだった。
最後に、「お、次はやってみたい」と思っておられる方へのtips。

  • あの衣装、見た目ほどは暑くありません。でも暑そうにしてるとみんなが親切にしてくれます。
  • 帽子は風が吹いてくると飛びそうになります。紐は耳の前に出した方がいい気もしました。
  • 靴は26.5のワンサイズなので、マイブーツでの参加もいいかもしれません
  • なぜか靴下が猛烈に汚れます
  • 靴は左右があります。注意しましょう(僕は両足に右用を履いてしまって、それで3.5キロ歩きました)

以上です。それにしても面白かった!


あと、リンクをいくつか。
映像つきのまとめ http://matome.naver.jp/odai/2137379539235741001?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
togetter http://togetter.com/li/533631
朝鮮王朝音楽隊の動画 https://www.youtube.com/watch?v=AB12SeK5_OA&feature=youtube_gdata_player

「慰安婦」には軍が関与していた

永井和『日本軍の慰安所政策について』という論文がネット公開されているのを知った。


この論文、かなり興味深い。メインのテーマは「慰安婦」の募集についての規制を含む1938年3月4日付の陸軍省副官通牒*1の解釈で、結論としては、「慰安婦の募集と渡航を合法化すると同時に、軍と慰安所の関係を隠蔽化するべく、募集行為を規制するよう指示した文書にほかならぬ」と言われているのだが、そのプロセスで警察資料を使っているのが興味を引く。以下簡単に内容を紹介。

当時、中国に渡るには渡航許可が必要であり、売春婦や業者にはそれは出なかった。また「軍に奉仕する売春婦を募集している」と言っている業者を、警察が新手の詐欺・誘拐だと判断して逮捕するという事件も起きていた。それに対して軍が事情を説明し、業者の釈放や渡航の許可を獲得していたという事実が警察の内部文書からわかる。

永井は、問題の通達は「そういうことが起こっているから慎重にやれよ」という趣旨のものであると解釈する。つまり、ここでは軍の関与は極めて明白である*2

更に、38年7月には警察が売春婦への渡航許可を方針化していて、問題の通牒はそれとも関連しているとも指摘される。

当時、警察は「慰安婦」の募集について、「一般国民、特に出征兵士の家族への悪影響」と「婦女子売買に関する国際協定違反」の二つを上げていた(後のほうは、どうやら未成年を売春に従事させることの問題らしい)。軍はこれに対応して「そういうことは起こさないように」という通達を現地機関に送ったわけだ。

というわけで、最初の結論になる。「慰安婦」の確保には軍や政府が関与していて、その力を使って色々なことを可能にしていた。そしてまた、それが世間に知られないようにしていたわけだ。

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あと、これは僕の想像なのだけど、日本でやるのが問題、ということになったところで「そういう心配のない朝鮮で集めればいい」という話になったのじゃないかなあ、という気もする。


こういうことを書くと大体予想がつくような反論があるので予め列挙しとく。

日本人による「慰安所」の証言集 http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1
慰安婦」高収入説は誤り http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120323/1332519449
慰安婦」高収入説はビルマで発行された軍票の価値を誤ったもの http://www2.ocn.ne.jp/~adult/ianfu/pay2.html
米軍報告書関連についてはこちらの回答 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3045617.html

以上。

*1:この文書は日本軍が公文書で慰安所に言及した例として有名で、その意味については諸説ある。内容の現代語訳は以下の通り。「“副官より北支方面軍および中支派遣軍参謀長宛通牒案”  支那事変地における慰安所設置のため、内地においてこれの従業婦等を募集するに当り、ことさらに軍部諒解などの言葉を利用して軍の威信を傷つけかつ一般民の誤解を招くおそれあるもの、あるいは従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集し社会問題を惹起するおそれあるもの、あるいは募集に任ずる者の人選が不適切なために募集の方法が誘拐に類し警察当局に検挙取調を受けるものあるなど、注意を要するものが少なくない。将来これらの募集などに当っては派遣軍において統制し募集に任ずる人物の選定を周到適切にして、その実施に当たっては関係地方の憲兵および警察当局との連繋を密にし、軍の威信を保持し、社会問題を引き起こさないよう、遺漏なく対応されたいhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%89%80%E5%BE%93%E6%A5%AD%E5%A9%A6%E7%AD%89%E5%8B%9F%E9%9B%86%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%B6より一部改変

*2:永井の論文では、軍の文書に「慰安所」の開設マニュアルが存在したのではないかと指摘している。

『秀吉の対外戦争』

井上泰至、金時徳『秀吉の対外戦争:変容する語りとイメージ: 前近代日朝の言説空間』の感想。この本は江戸時代初期からの「朝鮮出兵」を扱った日本の書籍についての論文集だ。

まず、上記のようなものがかなりたくさん出版されていたという事実に驚く。もうはっきり対外戦争として意識されていて、「明治以前は国家意識がない」なんて俗説は吹っ飛ぶ。また、非常にしばしば日本書紀にある「三韓征伐」の話が引用されていて、どうも朝鮮半島を属国視するのは江戸時代よりさらに前からのことではないか、という印象を抱かされた。以下(以上もだが)本論とはちょっと違ってしまうことを覚悟で僕の感想を少し。

金によれば、朝鮮出兵は大きく二種類の論理によって正当化される。一つは征伐の論理。朝鮮側に「非礼」「虐政」「淫楽」「奸臣」「忘戦」などの落ち度があり、日本が正義の軍としてそれを正すというもの。もう一つは防御の論理。元寇への報復、または新たな侵略への予防が言われる。

金は慎重にそこまでしか言わないが、僕の眼から見ると、これは明治以降に「征韓」を主張した者たちの主張の先取りである。というか、彼らは江戸時代の論理を援用したにすぎないのではないか。なお「征伐」の論理は中国の華夷思想の援用だという指摘も重要だと思う。
戦争の正当性のなさを指摘する文献もあるが、日本の武威は常に強調される(このへんも明治後に似てる)。

さらにもう一点面白いのは井上が書いている幕末の志士の政治意識のくだり。

幕末の活動家には、皇国史観的な意識を持って、征韓論を唱えるものが相当いたらしい。(このへんは日本書紀頼山陽の『日本外史』に「韓」が日本に朝貢していたという事実無根の記述があることによるらしい)。「皇道」を確立するため、そして西洋に対抗してアジアに覇権を確立するための「征韓」を唱えた活動家のなかには、水戸天狗党吉田松陰、久坂玄端、真木和泉などがいる。

つまるところ、「幕末の志士を尊敬している」ネトウヨさんは、さほどピントのずれたことを言っていなかったわけだ。というか、実のところ、日本は江戸時代からずっとネトウヨ国家だったのではないかという印象を抱き、ちょっと絶望的な気分になった。

ところで、この本を書いた井上さんは防衛大学教授、金時徳さんは韓国高麗大学教授で、この異色のコンビはなかなか面白い。実は、金さんはたまたまブログhttp://hermod.egloos.com/ を存じ上げていて(自動翻訳で拝読してる)、今回初めて論文を拝見してちょっと感慨があった。

と思ったら、なんと金時徳さんご本人からコメントが!
はてなで日本語ブログhttp://d.hatena.ne.jp/hermod/もやっておられる事を教えて頂いた。世の中って、なんだかすごい。

日本と韓国のナショナリティ(とローカリティ)

明美『サッカーからみる日韓のナショナリティとローカリティ』読了。清水市西帰浦市(済州)で、(少年)サッカーをめぐる様々な実践をフィールドワークしたもの。日本と韓国のナショナリズムの成立ちの違いについての結論が興味深い。

大胆かつ大幅に要約すると、日本のナショナリズムは「地域での活動が自然にナショナルなものにつがなる」ような形になっているという話である。金は、少年団でのサッカーが地域選抜から日本代表につながっていくというような図式に重ねて*1読み解く。

ここで、末端ではナショナリズムが持ち出されないことが特徴的だと指摘されるのが興味深い。日本の、地域での少年サッカーはコミュニティに組み込まれた形で実施され、そこからだんだんナショナルなものに繋がっていく。また、活動のなかで自然に「日本的」な価値観が教えられる。ローカルなものとナショナルなものの区別は日本では曖昧になっているという。

一方、韓国では少年サッカーは地域コミュニティとかなり分断されているとされる。活動は学校に拠っていて、地域コミュニティの関与はない(地域でのサッカーは全く別なものとしてある)。選手を支えるのは、家族と国家のために頑張るという意識だという*2。つまり、韓国ではナショナリティとローカリティははっきりと分断されている、という指摘である。

また、サッカーの練習の観察も興味深い。清水の少年サッカーでは、選手が「自分で考えて」正解となっている動きを発見することが重視されている。西帰浦では、最初に動き方を教えて、あとは選手が色をつけていという。読んでいて、「自然に」型にはめていく日本と、型を明示して工夫を許す韓国、という感じの対比図式を思い浮かべた。

金の議論は、日本と韓国の「国家観」の違いという話につながっていくように思う。これは僕の感想だが、誰もが「自然に」ナショナリストになるとみなされ、それゆえ殊更にナショナリズムや反ナショナリズムを表明することが奇異にみられる日本と、はっきりとナショナリズムを表明することが期待されるが、「国や個人のあり方」については幅広い意見の表明が容認される韓国の違い、という感じだろうか。他にも色々とネタがあるのだが、とにかく勉強になった*3

*1:実際には少し違うが

*2:このあたりは「儒教意識」「忠孝一体」「両班志向」という言葉で表現される。戦前、戦後にわたる歴史的・政治的状況との関連については、この短い感想のなかでは書き切れない。ただし、基本的には「自分のため」であることはもちろんはっきりしている

*3:「コミュニティを経由するナショナリティ」と「個人を直接統括するナショナリティ」という話にまとめると、與那覇さんの図式にもつながっていくのかもしれない。

日本は普通じゃない方がいいのじゃないか

まえおき

たとえば「在日コリアンが持っている『特別永住者』という在留資格はおかしい。日本国籍を取得させるべきだ」という考えがある。また「日本国は様々な民族からなる国家になるべきだ。日の丸はその国家の象徴になるべきだ」という考えもあるように思う。
僕は、ザイトク会的なものの次に、こういう考えを心配している。もしザイトク問題が解決しても、この問題は残ってしまうのではないか、そういう不安がある。なので、この記事を書いた。不安に根拠があるのか、と言われれば「印象程度です」と答えるほかない。杞憂に終わればよいと思う。

本文

日の丸を国民の統合の象徴とする、というアイデアには反対だ。多様なエスニシティの人々を日本国民として統合するという話にも賛成できない。日本国は様々な国籍をもつ人々が共存する場所であるべきだと思う。なぜなら、それが日本のナショナリズムの唯一のありかただと信じるからだ。

ナショナリズムは、克服され、消滅すべきものだろう。だが、それは遠い未来の課題である。現状では「ナショナリズムをできるだけ無害にする」ことで妥協するほかはない。以上が一般論だが、日本の場合、「大日本帝国を再現しない」ことも重大な課題としてある*1

「戦前に戻らない日本国」をつくるには、二つの方法がありえる。ひとつは、過去と完全に切れた新しい国を作ること。国旗、国歌はもちろん、体制も変える。もう一つは歴史や伝統をひきうけつつ、国家をできるだけ力の小さなものに変えていくことだ。

二つの選択は、もちろん、戦後すぐの時期にも可能だったはずだ。

だが、前者の選択はなされなかった。そこには色々な理由があっただろう。「国体の護持」にこだわる軍と政府、保守層からアメリカ政府までが等しく抱いていた共産主義への警戒感、占領を円滑に進めたい連合軍の意向、ソ連の存在…。ともかく、天皇制、明治以来の憲政*2、日の丸、君が代は維持された。

結果として後者のラインが選択され、それが「日本国憲法の神話」につながったのだと思う。「我々は新しいタイプの国家を建設するのだ。それは平和主義に基づく民主的な福祉国家である」という神話が。それは、「我々は世界のどこよりも先進的である」という、明治後の日本人がずっと抱いてきた自尊感情をも満足させるものだったはずだ(実際、初期のゴジラなどでは、首相が「戦争を放棄した国でなければ言えないこと」という台詞を言うシーンが出てきたと思う。「唯一の被爆国」という常套句も忘れがたい)。

その欺瞞性はさておこう。実質的な再軍備アメリカの軍事戦略を補完する存在だったこと、怪しげな「日本型福祉」にも目をつぶる。どれほど偽善に満ちていようとも、戦後日本の神話は日本ナショナリズム大日本帝国への反省を両立させるという意味で、なかなか冴えた解決策だったと僕は思う。

それは、一言で言えば「国家でないふりをしようとする国家」だった。「軍隊ではなく自衛隊」という言い方も、その一環だ。「国旗ではない日の丸」「国家ではない君が代」「元首ではない天皇」などの奇妙な装置も、それだったのだと思う。もちろん、実際にはある。自衛のための交戦権を軍隊なしに確保することは困難だし、政府の艦船や航空機にマークをつけないわけにもいかない。国際慣行上、歌だってあったほうがいい。安全保障戦略も、国益の確保だってやる。だけど、それは「やむを得ない緊急避難」として行うのだ、という建前がそこにはあったと思う。そして、少しづつでも理想の状態ににじり寄っていくのだ、と。

そして、この原則を国民の概念に適用すれば、「国民も、国民でない人でも同じように扱う」という方針が出てくるはずだ。もちろん、これは実現していない。これは日本の統治機構がずっとこだわっている最後の砦のようなものだったと思う。特別永住制度はそこに穿たれた穴だ。進めていくべきなのはそこを広げていくことではないのか。

戦後体制は偽善だったかもしれない、不十分だったかもしれない。だが、そこには、僕らの先輩たちが、あの決定的な敗北の中から掴み取った教訓がある。戦後の70年の間、日本に暮らす全ての人々が手さぐりで見つけてきた答えがある。それらをしっかり継承していくべきだと僕は思う。

それを自虐だと攻撃し、陰謀だとして修正し、「普通がいい」といって放棄することは、「大日本帝国を反省しない普通の国民国家」という、最悪のものを導入することだ。あの戦争の犠牲と教訓を無駄にすることだ。そのようなことはすべきでないと僕は思う。

*1:大日本帝国は戦前の日本国号だが、そこではナショナリズムがあきらかにおかしな方向にむき、侵略や戦争に向かわせる原動力の一つとなった。それを再現しないことは、世界に対する日本の義務であると僕は思う。

*2:日本国憲法明治憲法を改正する形で作られ、全く新しい制憲権力の確立は行われなかった

排外主義への対抗について

3月31日に、鶴橋での排外主義デモのカウンターに行った。

もちろん、僕は大したことはなにもしていない。こういう行動では人数が多いことが大切だと思うのでその一翼を担ったという気持ちはあるけど、別に人を誘っていったわけでも、宣伝をしたわけでもない。だから、行動そのものについて語る気はない。

ただ、やっぱり動いているうちに色々と考えたことはあって、それはツイッターで書いたのだけど、ちょっとまとめておこう。

発端は、こんな感じのことだった。

色々な人と話をした中で印象に残ったのは、在日コリアンの方が「韓国は反日じゃないですよ!」と強調されていたこと。そういう気を遣わせてしまうこと自体が、とても申し訳ない気がした。
話が一段落したところで、そこにいた日本人5、6人が異口同音に口にしたのは「ご迷惑おかけしております」だった。もちろん、軽い冗談としてのことだけど、意外と本音でもあったと思う。排外主義は僕らの社会が産み出してしまったものだ。だから、僕らが食い止めないといけない。


そこから、考え始めた。


こういうシチュエーションだと、どうしても日/韓という二項対立図式が強く意識されてしまう。それでは何かまずい。だけど、単純にまずいよ、でいいんだろうか。「我々は、この社会で起きていることに責任がある」という時に、その我々とは誰なのか。そして、責任を取るとはどういうことか。

それが「我々日本人」のことでないのははっきりしている。そんなことを言ってしまったら「責任をひきうけるのだから、ここは日本人の国だ」ということになり、つまるところ排外主義の人たちとおなじことなってしまう。けれど他方で、「日本人である我々」と「彼ら在日コリアン」の共同の責任、と考えてもそれはそれでまずい。そこには、「差別される側にも原因がある」というような話に発展していく余地があるからだ。言うまでもなくこれもまた排外主義の論理であり、「お互いに幸せになるためにあなた達は故国に帰ったほうが良い」という彼らの良く使う主張につながる*1

つまり、この話は、一方で「日本人としての誇り」のような話に、他方で「在日社会にも問題が」という話に繋がっていく危険を含んでいる。差別を克服しようとしたら、そこにも差別があるのだ。

だが、「それなら無責任の方向で」というわけにもいくまい。排外主義と対抗するというのに、「あまりそれはいい感じじゃないから」ではいかにも頼りない。まあ、それでいいと言えば良いようなものだが、気にする人は気にするだろう。それに法律や警察の力を借りるのかどうかという問題もある。では、どんな理屈がありえるのか。

1.社会の維持

社会が成立しているとき、そこには必ず「人と人が共存していくためのルール」が存在する。その一つが法律だが、それだけにとどまるわけではない。習慣とかマナーとか、道徳というようなものもある*2。我々の社会は、人々がそれらを守ることによって、というか、より正確には人々が「他の人々がそれらを守る」と信じることによって、成立している。これらはどんな社会にも(その社会が社会として存在しているなら)必ずあることだ。

そしてまた、どんな社会にも、必ず規範から逸れてしまう人がいる。そのとき「それはルール違反だ」と示す、というのが社会のなすべきことだ*3。さもなければ社会に対する人々の信頼が崩れ、そのことによって社会の秩序が崩壊してしまう。

排外主義へのカウンターを考える上でのヒントの一つがここにある。まさにこの「ルールの所在を確認する」という意味で「排外主義に立ち向かうことは我々の責任だ」といえるかもしれないからだ。それは国籍や思想による区別を、おそらく超越しうることだ。これまでに生きてきた社会を存続させるために、我々は排外主義に立ち向かい、「自分たちはこれを受け入れない」という意思表示をする必要がある。

しかし、そこには重大な保留がある。

「逸脱を制裁することで規範の存在を示す」という社会のはたらきは、「犯罪の機能」として社会学で知られる。なぜ犯罪の機能で、制裁の機能ではないのか。

実は、「逸脱の制裁」は規範によって維持される社会の存在そのものにとって不可欠のものでもある。なぜなら、制裁を通じて「我々は規範を共有している」ということを確認しなければ、人々の間に社会への帰属意識と信頼感を作り出すことができないからだ。つまり、社会は、社会として維持されるために犯罪を必要とするのだ。犯罪をおかす人がいなくなれば、社会は犯罪を作り出す。だから、みんなが品行方正になっても犯罪はなくならない。犯罪の基準が変わるだけだ。

以上のことを考えに入れて、しかし、それでも「社会規範などと言うものは無用だ」とはいえない。それは我々が人と共存するために不可欠のものだからだ。だが、規範がある限り犯罪もある。そして、その責任は必ずしも犯罪者の側にだけあるのではない*4

だから、逸脱の制裁は慎重でなければならない。もちろん、原理的に取り返しのつく制裁などというものはありえないから、慎重すぎては何もできなくなってしまい、それはそれでまずい。また、逸脱の性格によっては重度の制裁も必要だろう*5。だが、それでも、犯罪の原因を、その人の変更不可能な特徴に求めたり、ある属性を持つ人をまとめて「潜在的犯罪者」とみなすようなことには慎重であるべきだろう。

これは、もちろん、差別が禁止されるべき理由のひとつだ。だから、それによってまたあらたに「逸脱者」カテゴリーに入れられる人が創られてしまうことを必要悪として受け入れ、かつそれが非難される人への差別につながらないような配慮をするという前提条件を付けたうえでなら、(国籍とは無関係な)「市民」による社会運動として排外主義に対する否定を意思表示することはありえるし、というよりもむしろなすべきことだと言えるだろう。


以上のようにして、我々は協同して排外主義に立ち向かうべきだ、とはいえる。それは、我々の社会を可能な限り平等に保っておくための手段なのだ。とはいえ、そのような一般論、原則論では済まないような側面もまたある。

2.歴史

ザイトク的なるものの存在は確かに「日本国民」の問題であるという面もある。なぜなら、そこある排外主義は、一般的なショーヴィニズムの発露だけではなく、韓半島、中国、東南アジア…などの人々に対する日本人の蔑視(または優越感)ともかかわることだからだ。

「韓国人風情が…」というような(あるいはもっとひどい)表現は排外主義者の発言に本当によく聞かれる。韓国(や中国、その他のアジア諸国)は日本に比べて程度が低く、それなのに日本に反抗したり、日本を利用したり食い物にしたりするのが許せないというのだ。また、それに反対する人の間からも「中国や韓国のような(遅れた国の)真似をしてどうするのか」というような発言がされることもある。

こうした自民族中心主義は、もちろん、どんな民族にもみられることだ。だが、日本の場合、とりわけ明治後には、それが日本帝国の政策と結びついて昂進されてきた経緯がある*6

これまで引き継がれてきた日本の文化とか伝統とかを捨ててしまうのでなければ、僕らはこういう問題も引き受け、それを克服しなければならない。それはやはり、日本人の責任としてある。
それはまた、大日本帝国負の遺産に立ち向かい、不十分だったり逆行もあったとはいえ、なんとかそれを償い、かつそこからより良いものを作り出そうと苦闘してきた、戦後の日本国の歴史の正統な後継路線でもあるはずだ。

そしてまたそれは、日本人と、日本に住む外国人が共に作ってきたものでもある。これからなすべきことへのヒントは、そのあたりに潜んでいるはずだ。

*1:もちろん、現実問題としてそんなことは全く不可能だ。ある人の暮らしを突然奪うということの理不尽さはいうまでもなく。

*2:社会学ではこのようなものを「社会規範」と呼んでいる。法律はそれらの中の一つのタイプだ。

*3:このような、「規範からの逸脱に対する否定的な反応」を「(社会的)制裁」と呼ぶ。制裁には非難から刑罰まで、様々な種類と強さのものがある。

*4:このあたりの理屈は、社会学の開祖のひとりであるデュルケームのアイデアに拠っている

*5:損害の回復か賠償が必要であるのはいうまでもない。

*6:明治政府が目標として西欧諸国に対する蔑視が少ないのは多分そのためだ。もっとも、幕末にも征韓論があるので、何もかも明治後のせいにすることはできないとも思う