2.アウトロー社会史本

もちろん、これは包括的なリストではない。というか、今回はシステマティックな文献検索はしていない。あと「社会史」ということで、主に現代を扱ったものは入れなかった。以上をお断りしたうえで、今回読んだ本を軽く紹介。

中世から現代まで、アウトローの歴史を*1幅広くまとめた本で、「古典」として高く評価されている労作。事実関係やエピソードを確認するのに大変重宝する。残念なのは網羅的になるあまり、読んでいて全体像が把握しにくい印象があること。また、「アウトローとは何か」という問題の掘り下げもやや浅い印象がある。

江戸末期以降のアウトロー史を7つの局面に分けて紹介したもの。かなり良く記述が整理されていて、わかりやすい。また学者的にいうと参考文献が多いのも好印象で、考察も充実している。後述する『病理集団の研究』と『博徒と自由民権』はこの本から教わった。惜しまれるのは歴史と文献学の間でやや中途半端なスタンスになってしまっていることだ。また(これは別に欠点ではないが)独自の取材は行われていない気配が強い。

手練れの歴史家、野口氏による江戸幕府の洋式陸軍についてのレヴュー。一次史料が多数引用され、読み物としても整理されていて、面白い。これがアウトローとどうかかわるのかは、追々書いてゆくことになろう。今回まとめていて気付いたが、意外と事実関係を勘違いしやすい構成になっているのと、一部出典が明記されていないのが欠点だが、新書なのでやむを得ないともいえる。

民俗学の大御所が書いた、武士の民俗学。ちょっと学術書っぽいし、はっきりいってアウトローの本ではない。これもどう使うかは後で説明する。史料としては、近世の武士の斬りあいの報告書などが多く紹介されているところに価値があると思う。「咄嗟に手で受けてしまうので左手の骨折が多い」とか、「鬢や耳を斬られることが多い」というようなことはこの本でしか学べない。

  1. 氏家幹人2007 『サムライとヤクザ』ちくま新書

気鋭の若手というか中堅というか、膨大な量の著書を出すので有名な歴史学者の本。氏家さんは千葉さんにも引用されていたりして、武士の社会史への関心という点が共通している。この本では武士とアウトローの関わりを大胆に描き出す。もちろん史料多数。アウトローという言葉は使わず、「やくざ」「おとこ」と言うような表現をしている。『幕府歩兵隊』からの引用もある。

  • 岩井弘融1963 『病理集団の構造:親分乾分集団研究』誠信書房

50年前に出版された、アウトロー研究の金字塔。著者は社会学者で元東京都立大、東洋大教授。資料・史料を網羅している点、充実したフィールドワーク、理論的バックボーン、電話帳並みの分厚さなどの点で他の追随を許さない。唯一の欠点は、記述と理論紹介と分析が交互に、かつ少しづつ提示されるので「順番通りに最初から最後まで」という以外の読み方がしにくいこと。

幕末、明治初期の政治・社会運動と博徒*3の関わりを研究した本。名古屋を中心に活動しておられた歴史家の本なので、「名古屋事件」と呼ばれる自由民権運動の事件、東海地方の博徒尾張藩の事情、などを中心とした記述になっている。多数の史料が縦横に用いられた大変充実した研究で、大変勉強になった。全体像の把握にはもちろん向かないが、それは本書の責任ではない。

*1:本文中ではヤクザでなくアウトローという表現が使用されている

*2:著者名は「こいしかわ」と読む

*3:賭博経営にかかわるアウトロー。「やくざ」の本流

1.はじめに:「なぜアウトローなのか」

日本の「アウトロー」と呼ばれる界隈について、調べたり喋ったりしている。といって、現実のそういう世界に興味があるというわけでは必ずしもない。そもそもの発端は左翼の将来について考えていて、そこでなんだかもやもやしたことだった。

しっかり調べたわけではないのだが、どうも僕自身を含む左翼の世界観の中では、社会に「やくざっぽい人」はいないことになっている気がする。平等、共働、再分配の世界にみかじめ料を取ったり賭博をさせたりする人の場所はない。

もちろん、悪いことをする人がいなければ困る、というわけではない。いなければいないでよい。しかし、現実の我々の社会にはそういう人がいるというのもまた事実だ。ならばその社会的機能を解消するなり代替するなり容認するなりしなければ(そういう仕組みを考えなければ)、ちゃんとした社会の構想にはならないのではないか。というか、そもそもそこにある機能とは何か。ヤクザ方面の人は社会でどんな役割を果たしているのか。もちろん「ルンペン・プロレタリアート」という便利な概念があるのだが、果たしてそれで十分なのだろうか。

また、その一方で、アウトローの世界というのは、左翼的にちょっとグッとくるものでもある。そこには反権力とか義理人情とかいうキーワードがあって、それが実践されている感じがするのだ。そして何よりも民衆の世界だ。左翼にはとても魅力的だ。でもリアルのやくざの人はどうも右翼っぽかったり、民主的でなさそうだったりする。そのあたりはどう考えたらいいのか。

というかちょっと待て。民衆のどうこうというのは一体何の話なのか。そもそも、なぜ「ヤクザ」じゃなくて「アウトロー」とかいうのか。

…うん、まず、その辺から。

ヤクザとアウトロー

たとえば、「鶴見騒擾事件」というものがある。短く要約していうと、これは1925(大正14)年におきた大規模な喧嘩騒ぎで、現場になったのは神奈川県橘樹郡鶴見町潮田(現在の横浜市鶴見区潮田町)だ。二つの組織が鉄砲や狩猟用の大砲まで持ち出して半日にわたって市街戦を繰り広げ、死者3名、負傷者153名をだし、416名が逮捕された(人数については諸説で細かい違いがある)。関わった人の数が多く、騒動の規模が大きかったのは、直接の当事者だった二つの組織に色々なところからの応援が加わり、スケールの大きな争いになったからだ。

この事件はかなり有名な事件で、僕が今回読んだ本のなかでも、何回か取り上げられていた*1。では、これを「ヤクザの喧嘩の代表例」だと言えるかというと、実はそれはちょっとややこしい。というのは、これは厳密にはやくざ同士の争いではなかったからだ。抗争の原因になったのは発電所の建築工事を巡るトラブルで、基礎工事と建屋(建物)の工事を別々の建設会社が担当する、ジョイントベンチャーの形になったことが原因だった。基礎工事を請け負った建設会社の下請け業者が「その方式は理不尽だ。基礎工事をやった側が建屋の工事もやるべきだ」と言いだし、工事現場を占拠して建屋工事を請け負った業者に工事をさせなかったことが喧嘩の発端になったのだ。

抗争の一方の当事者(引き起こした側)の「三谷秀組」は博徒*2系の組織で、鶴見一帯を「仕切り」、工事の請負のほかに、建築ラッシュだった付近で工事関係者相手に営業していた飲食店などからみかじめ料もとっていたというから「ヤクザ」だとはいえる(Jv方式で他の請負業者が入ってくることは、彼らにとって「縄張り」の問題だったわけだ)。しかし、もう一方の「青山組」のほうは鳶職の組織から発展した業者で、ヤクザではない。しかし、ではカタギかというと、こちらには関西からヤクザが応援にきたりしていて、そうとも言い切れない。おまけに三谷秀組のほうにも港湾労働者や壮士*3の応援が来たりしていて、どうにも話がややこしい。「あれはヤクザで、こっちはそうじゃない。だから我々はこっちだけ扱う」とは、なかなか言えないのだ。

そこで、多くの場合、この問題に関心のある人は「なんとなくあっちのほう」というようなニュアンスで、「アウトロー」という言葉を使うことになる。向こうはこっちとは違う世界で、普通では考えられないようなことが起こる、というわけだ。

これは単なる印象の問題ではない。実際、鶴見の事件でも警察は事前に取り締まったり介入したりしなかったし、死者が出ているにもかかわらず、裁判で有罪になったのは30名程度、しかも懲役数年という軽い刑、というわけのわからない結末をむかえた。そんなことは、一般の社会では考えられないことだ。「ヤクザ」という名前が付けられないにしても、区別をする必要は確かにある。そこで「アウトロー」という用語が導入される。

アウトローと「法」

さて、アウトローといえば「法の外にいる人」である。町の外にひろがる平原の向こうから馬に乗った人が現れる西部劇のシーンなどが連想される。しかし、日本で「ヤクザっぽいもの」としてアウトローという言葉が使われるとき、それは無秩序を意味する用語としては使われない。その世界に一定の規範があることは、論者によってもはっきりと認識されている。

たとえば、礫川はアウトローという言葉を大変自覚的に使う人だが、同時に明治時代のスリの大親分、仕立屋銀次の話なども書く*4。銀次は明治20年代に隆盛を極めたスリの世界に君臨した親分の一人で、礫川によると大変よく整えられた階層的な組織を持っていた。スリたちは各自に割り当てられた縄張りの中で活動し、一日の終わりにはその日の盗品をすべて組織の担当者に売り渡すようになっていた。銀次等の親分はそれらの盗品を売りさばいて現金化するわけだが、全ての取引は台帳に正確に記録されていた。それどころか、これらの記録は警察に出された被害届ともつき合わされ、漏れ落ちのないようにクロスチェックされていたという。要するに「不正」ができないようになっていたわけで、スリたちは刑法にこそ違反していたものの、その世界における「法」には従っていたのだ。

つまり、ここでいうアウトローというのは「国家などの全体社会によって決められた秩序」の外にいる、という意味であって、全くの無秩序というのとは少しニュアンスが違う。しかも、更に重要なことに、礫川の記述では警察の関与がはっきりと指摘されている。被害届云々からもわかるように、警察は銀次の台帳をチェックしていた。この時期の警察官たちは、「品上げ」といってスリの被害者から依頼のあった盗品について、手数料を取って返還させるという犯罪行為を行ったりもしていたらしいが、もっと重視していたのはスリがもっている情報だったらしい。スリの親分たちは盗品だけでなく、手下のスリたちが目撃したり聞き込んだりした犯罪や犯罪者の情報を警察に提供し、その見返りに窃盗を黙認されていたのだ。警察はつまり、法を執行し、法による秩序を維持するために犯罪組織を利用していたのである。

このように考えてゆくと、アウトローの「アウト」たるゆえんが曖昧になってくる。「こちら側とあちら側」には、はっきりとした区別ではなく、「オモテとウラ」のような関係がある。両者は一体になっているのだ。

たとえば、1930(昭和5)年の国会では、ロンドン軍縮会議統帥権の問題で紛糾する事態を解決すべく、与党が「院外団」とよばれた政治系のアウトローを議事堂に乱入させるという事件があった*5。与党民政党の議員にヤクザの親分がいたためにそういうことが可能になったのだが、野党政友会のほうでも親分議員が子分を大挙上京させるという事件があり、幸い大事には至らなかったものの、オモテの政争とウラの抗争が混然一体となって展開された。

実は、鶴見騒擾事件でも、事態の収拾には政府や軍部と関係のある政治団体が収拾に乗り出してきている。裁判にも政治の介入があったらしい。また、スリのケースでも大親分の銀次の父親は実は元刑事で(幕末の岡っ引きがそのまま新政府に雇用されたというケースだろう)彼はこのあたりのカラクリに精通していたという話がある*6。オモテとウラのつながりはアウトローを論じる人に良く理解されているといえる。

アウトロー問題」

「ヤクザっぽいもの」のことを考えようとする人は大体このあたりにたどり着く。はっきりとした違いが感じられるのだが詳しく見ていくと線引きの根拠は曖昧になり、そもそもどんな区別が行われるべきなのかも分かりにくくなるということだ。これは「物事を真面目に考えすぎる人の些細な問題」ではない。区別の仕方がわからなければ問題に対処することが難しいということもあるし、そもそもこうした区別のあり方には我々の社会のメカニズムそものものが表れている。

改めて問題を整理しておこう。

  1. ここで考えたいのは「ある人々をアウトローと呼ぶ」という行為のことである。それらは社会全体で共有されているわけだが、ある場合には著作に分かりやすい形で現れるだろう(他の媒体で表現されることもあるはずだが、それについては今は考えない)。
  2. アウトローと一般との境界は、明白な単一の基準によって設定されているのではないようだ。アウトローについて考えるという行為のなかで「これはアウトローである。これはアウトローではない」というような区別の実践によって境界が設定されている(もっとも、そうした実践によって単一的な基準ができあがるということはあるかもしれない)。
  3. といって、この境界は一般常識から全くかけ離れたものであるということでもない(もしそうなら、それがそもそも本になって出版されることはないはずだ)。たとえば「そこには一般に『法律』として認められているものからの逸脱を含む」という理解は大前提として含まれると思われる。
  4. アウトローの世界にも一定の秩序があること、アウトロー社会と一般社会に接点があった(ある)ことは普通に認識されている
  5. つまりここで行われているのは、もともと「一定の秩序を持った集団」だという意味で同質の社会を、いったん「アウトローとそうでないもの」とに区別し、そのうえでこの二つのつながりを再確認するというややこしい作業である。これは何を意味するのか。

このようなことを、徐々に考えていこうかと思う。まず、語られる「アウトロー史」を確認しよう。

文献

*1:ここでの記述は、主に礫川2008と猪野1999による

*2:賭博の組織を運営するアウトロー。後述

*3:政治に関係するアウトロー

*4:礫川2008:153-172

*5:猪野1999:201-204

*6:礫川前掲。岡っ引きとアウトローのつながりについては、猪野1999や長谷川1977に指摘がある。

ソウルにおける日本、のようなことなど

ソウルにまた行ってきた。

実は、僕はここ何年も韓国に行き続けていて、初めて行った2006年以来、この7年で7回目の渡航になる。

なぜそんなに何回もいくのか?

僕は特に韓国のどこが好き、というわけではない。タレントさんとかでも特にファンはいない(「イ・サン」と「推奴」は面白いと思ったけれども)。じゃあどうして、というと「面白いから」というのにつきる。初めて韓国に行ったとき(そのときはちょっと用事があった)、僕はあるところにこんな風に書いた。

実際に行ってみて、僕の中では韓国がなんとなく気になる存在になってしまった。好きというのとは違う。でも、嫌いでもない。時折、ふと、「あいつ今どうしてるのかな?」と思い出す。そんな存在に。

だって、色んなところがよく似てるんだもん。街の造りも、人の様子も、社会の仕組みもそっくりなんだもん。
それは、たとえて言えば兄弟みたいなものだ。そっくりだけど、ほんの少し違う。だから余計に気になる。時に苛々する。でも、縁を切ることはできない。

その気持ちは今も変わらない。日本と韓国は、ともに中国とアメリカ、そして大日本帝国の影響を強烈に受けているという点で、世界に二つとない良く似た国である。

もちろん、その背後には両国にとっての不幸な歴史というか、はっきり言えばその責任の大半が日本にある様々な歴史的な悪逆非道があるわけで、その後裔である僕としても呑気に「似ている」とか言っていられる立場ではないわけだが(実をいうと、20代のときに韓国に行くことができなかったのは一つにはそれが原因であった)、まあそれはそれとして。

どこがおもしろいのか。

そうだな、たとえばコンビニにおけるコピー機の問題がある。韓国には(もちろんというべきか)コンビニがあって、品ぞろえも出店場所も使われ方も、全体として日本のそれに良く似ている。スナック菓子があり、パンやおにぎりやラーメンがあり、飲み物があり、アルコールがある。ところが、コピー機だけがないのだ。

最初、僕は韓国でコピーをする用事があった時に、このことに大変困惑した。苦労の末に(日本語の「コピー」の発音が韓国では「コーヒー」の発音と同じになることも苦戦の原因であった)文具店に行きついたのだが、そこで改めて考えるのはなぜ日本のコンビニにはコピー機があるのかということだ。一体誰があれを利用しているのだろう。そもそも、費用に引き合うほどの売上げがあるのだろうか、もしあるのだとしたらそれが韓国にないのはなぜか…。等々と考えるのはなかなか楽しい(答えはまだ出ていないが、しかし、日本のコンビニのコピー機が「総合プリンター」のようなものに変身しつつあるところを見ると、コピーの利用者は少なくなっているのではないかという気はする)。韓国に行くと、日本のことを色々と考えるのだ。



さて。



今回、ソウルに行く前から、僕はひとつちょっと気にしていることがあった。それは韓国が日本との関係を薄くしようとしているのではないか、ということだ。韓国の指導層が政治的には中国寄りの路線を選びつつある、という話を日本の韓国専門家の方がされているし、日本のメディアも、そして韓国のメディアも言う。韓国を訪問する観光客も中国人が多くなり、業界も日本にはもはや大して期待していない、という話も流れてきた。これは正直なところ、僕も2011年の2月に(あの地震の2週間前だ)ソウルに行った時から感じていたことだ。以前はほぼ韓国人と日本人しか見なかったのに、観光客といえば中国人、という感じがどうもしていた。

もちろん、韓国の人に日本を好いていてもらわないと困るという訳ではないけれど、なんというか、世界の中で日本だけが独自の方向に走り続けるというのも寂しいもので、その辺どうなんだろうと思いながらの訪韓であった。

前置きが長くなった。さっそく写真をお見せしたい。



この日本語書籍だらけ(案内版だけハングル)の本棚は、ソウルの中心も中心、ソウル市庁や政府中央庁舎のすぐ近くにある大規模書店、教保文庫の光化門店で撮ったものだ。ご覧のとおり、日本でも発売されたばかりの新刊書がずらっと並んでいる。この隣では直木賞のコーナーも特設されていたし、会田誠をはじめとする話題のアート書が並んだコーナーもあった。それどころか、コミックから文庫まで、ずらっと本棚10棹以上が日本書コーナーなのだ。






こんな感じだ。もちろん、韓国語に翻訳されたコミックとか(これがまた実に多い)、小説とかのコーナーは全く別だ。

「今、誰か日本離れって言った?」の第一弾である。

もちろん、これとは別に英語の本のコーナーもあって、それは日本書の1.5倍くらいはあった。だから日本が特別扱いされているということではない。そしてまた、このコーナーはソウル在住の日本人を相手に商売をしているのではないかという気もするし、大変こなれた日本語の案内放送も流れていたから、日本人の店員がいるのも間違いなさそうだ。だから、「大勢の韓国の人が日本の本に親しんでいる」という話にはならないのだが、それでも、これは日本が嫌いだったり、日本に無関心だったりする国の景色ではない。

もう一つ、別の光景。


こちらは、ソウル南部の繁華街、高速バスターミナル(地名)の地下にあるGOTO MALLというショッピングセンターの一角だ。韓国では昔から高速バスが都市間交通の主要な手段で、だからターミナルはものすごく発達している。そのお客を当て込んだモールもすごい。で、その一角で「はなび」。このセンターは2012年に改築されたということで、だから昔からのがたまたま残っているわけではないと思う。また、商品や経営者にもとくに日本を連想させるものはなかった。場所柄からして、日本人の客をあてこんでいるのでもどうやらなさそうだ。純粋に訴求力のある記号として日本語が、しかもひらがなのまま使用されているのだ。

ついでにもう一枚。

ムジ、という単語が韓国語で特別な意味があるという話は聞いたことがない。また、この店は雑貨店でも西武グループの商品を扱っているわけでもなかった。アイコンとしての日本である。フードコートでは、日本食店や回転寿司もみかけた。


フードといえば、これも面白かった。

韓国の有名ファストフードチェーン、「キンパ天国」の看板だ。この店は海苔巻(キンパ(プ))のほかに色々な軽食を出すのだが、そのジャンルに「○○ドン」というものが加わったらしい。見た感じ、これはまったく日本の「丼」だ。音も一緒だし、どうやらこれは完全に日本のものがジャンルとして輸入されていると考えてよかろう。


それから、これは宿でみた朝のテレビ番組。

もし、僕の不勉強で(たとえば)メキシコのテレビでもそうだ、ということがあったら申し訳ないのだが、トークゲストが胸につけている楕円形の名札、全く日本のテレビと一緒ではないだろうか。というか、時間帯といい企画といいセットといい、どうみたってこれは日本の朝ワイドとおなじフォーマットの何かである。

テレビと言えばもうひとつ、CMでもちょっと面白い経験をした。実は、最初に来たころは韓国のTVCMにはちょっと違和感があって、これはYoutubeなんかで見るアメリカのCFに近いなあと思っていたのだが、今回はそういう違和感が消えていた。この点でも日韓は接近しつつあるようだ。

もちろん、これは韓国が日本をパクって云々というような話ではない。韓国のエンターテイメントが日本に進出してきているのは周知の事実だ。今回もテレビで「あ、これ日本でやってるドラマの第二クールだ」みたいな話があったし、地下鉄で「この広告の人、日本のタレントさんに似てるね」「KARAですよ、知らないんですか?」みたいなこともあった。両者は混ざってきているのだ。


もちろん、だからといって中国云々が根拠のないことだというわけではない。朴槿惠新大統領(今回の旅行の日程は、この大統領の就任式と重なっていた)は中国重視の政策を展開するらしいし、有名観光地では確かに中国人が多い。僕が行った景福宮でも日本人2:中国人8くらいの割合だったし、妻が行ったロッテデパートの免税店も中国人客メインだったらしい。とはいえ、そういう団体コースをちょっと外れると、夜の明洞ですら主に日本人と韓国人が歩いているという感じだった。そして何より、政治でも経済でもない、戦後の日本が営々と築き上げてきた市民生活の文化という面では、やはりまだ日本はアイコンとして機能しているし、日本で作り上げられたものが取り入れられ、さらに洗練されてフィードバックされているのも感じる。

そういう意味で、韓国と日本はやはり戦後国家として兄弟の国だし、まだ同じ方向を向いて走り続けていると感じた。どちらが先なのか、今後の力関係はどうなるのか、というようなことはわからないにしても。

そして、またもう一つ思うのは、これだけ近い両国が、もっといろいろなものを共有していないことの不便さである。たとえば、漢字のことがある。もし、韓国でも漢字とハングルの混交書きが今も使われていたら、韓国の人が日本語を読むにも、日本人が韓国語を読むにも、ずっと楽ができただろう。何しろ文法では共通する部分が多いのだから、お互いにかなりわかりやすかったに違いない(これは肯定的なことではないが、済州の4・3記念館に行ったときにそれを感じた。終戦直後のこの時期は韓国当局が漢字ハングル文を使っていて、おかげで調書などの意味がなんとなく理解できたのだ)。もちろん、これには中国との関係もあり、韓国内での教育や国語の改善運動などの関係もあって一概には言えないのだが、やはり漢字の廃止には日本による植民地支配の影響を消し去りたい、という全く当然の気持ちがあったことは間違いない。

なので、本当に日韓併合なんていう馬鹿なことが行われなければよかったのに、それ以前の保護国化とか不器用な革命への介入(しかも失敗)とかがなければよかったのに、と心から思う。あんなことがなければ、二つの国はもっと豊かな文化と社会を共同で作り出せていただろうし、朝鮮半島が二つに分断されることもなかったかもしれない。

もちろん、そんなことを言っても仕方がない。過去をより良いものにすることはできない。国際的な問題では、過去に対する評価を変えることだって難しい。だけど、未来は変えられるのだと思う。というよりも、未来はまさに今にかかっている。両国の関係がほとんど無意識化するほど親密になる一方で、違いや対立を強調する声がおおきくなっている。今度こそ豊かなものを作り出す方向にいくのか、それともまた50年後の溜息の原因となる失敗を犯すか。僕らはまさに今、そういう瀬戸際にいる。そう思う。

やっぱり今のポルノは問題があると思う

昨日から会田誠の作品展への抗議について考えている。主に表現の自由という観点からあれこれ書いているのだが、それだけでよいのか、という問題は残る。

確認しておくと、僕は表現は基本的に自由であると考えていて、それが大規模に流通するような場合に、公共性に基づく最低限の規制が必要になる、と考えている。つまり、今回のことに関しては「ポルノとして売っているのではないから、ポルノに似ているとか、芸術としての価値がないといったような理由によって規制するのはおかしい」というのが言いたいことだ。

しかし、これでは議論の水準を切り替えただけで、本当の意味で問題に答えたことにはならない。そもそも会田の作品が問題になったのは、「それがポルノに似ている」からだし、会田が批判的なアイコンとして作品を機能させられるもの「それがポルノに似たものになる」からだ。たとえば、ウォホールの「キャンベルスープ」を缶詰の大量流通と切り離して理解できないように、今回の作品展も我々の社会におけるポルノや性の問題と切り離しては理解できない。もちろん、これを論じることは抗議をした人たちの(今一つ問題のある)ストーリーに乗っかることだ、という言い方はありえるし、逆に、会田誠の(あまり洗練されているとはいえない)問題提起に同調してしまうことだ、という批判もありえる。でも、まあ、それでもいいと僕は思う。これは、やっぱり重大な問題なんだ。



さて、会田の作品展をめぐる論争で本当に問題になっているのは、「我々の社会にポルノが氾濫していることはいいのか?」「我々の社会におけるポルノは嗜虐性に偏しているが、それでいいのか?」ということだ。それが美術館にまで進出することに抗議するにせよ、あえてそれを模倣して何かを表現するにせよ、根底にあるのはそういうことである。

「そういうことに関しては、よい大人は議論をしない」というのも一つの見識である。「セックスは寝室にとどめておけ」というわけだ。これはポルノの規制やゾーニングにもつながる話で、実際問題として「そう考えるほかはない」というようなことでもあるだろう。しかし、社会批評としてはそうではないだろう。ポルノを社会の暗部に閉じ込めておくことは、問題を何も解決しない。

こういう面に関しては、これまたしばしば現れる「男はそれを我慢できない」というタイプの議論もまた同じであるように思える。それらは本質論に議論を回収し、またホモソーシャル的に批判を封印する。「お前だって好きなんじゃん。一人だけいい子になろうとするなよ」ということだ。だが、法的な責任を追及するならともかく、社会問題として考えるなら、それでは何を言ったことにもならない。ある文化のなかで育った個人が、そこにある記号体系を内面化するのはむしろ自然なことだ。考えなければならないのは、「では、それは必然なのか」「なぜそうなっているのか」ということだろう。


封印すること、おおっぴらに言わないこと。それが一つのキーワードだ。それが嗜虐の問題につながる。現代の性表現には「むりやりが快楽につながる」ということが、幅広く浸透していると思う。この前BL(女性向けの男性同性愛フィクション)のイベントがあってその世界における性表現をいろいろと見たのだが、そこにも「感じさせる側」と「抵抗を無効にされて快楽を感じてしまう側」という区分があった。僕らにとってセックスとはまず抑圧であり、その克服から生じる快楽なのだ。

このことが表現を規制する制度の影響なのかどうかは、僕にはわからない。たとえばAKB48のプロモーションビデオはエロティックだが、それは性の記号を露骨にならない形で隠蔽しつつ、しかし隠蔽という行為そのものによって表象しているからだ(そこにも問題があるが、それは今は置く)。しかし、では、全く規制がないネット上のポルノがエロティックでないかというと、そういうことはない。そこでも、巧みに「抑圧」がセットされ、その抵抗感が情動によって克服されることが快楽につながるようにされている。

しかも、これは快楽だけの問題ではない。余りにも有名なフーコーの一節を引こう。「性が抑圧されているなら…性の抑圧について語ることだけで、それがラディカルな侵犯行為の様相を帯びることになる。…彼は法を揺るがし、多少とも未来の自由の先取りをするのだ。そこから、今日、性について語る時のあの荘重さが生じる」(『性の歴史:1』)。もちろん、これはアイロニカルに言われていることだ。彼が言っているのは抑圧を利用して行動する者への皮肉である。ここでなされているのは「性の抑圧への挑戦者は、自由の使者であり、また快楽の使者でもある」という考えに対する批判なのだ。ポルノは挑戦者ではなく共犯者なのではないか、抑圧と快楽は一体のものなのではないか、言われているのはそういうことだ。

一方で「性を寝室に閉じ込める」ということと、他方で「タブーを侵すことから快楽を得させる」こととは、実は同じ現象であるはずだ。この両者がフィードバックループを形成して強化し合うとき、「嗜虐性をベースとしたポルノグラフィが、ひっそりと、しかし大量に流通する」という現象が生まれる。そして、あらゆるものがそうであるように、ポルノにおける「タブーの侵犯」記号は収穫逓減の法則に抗するかのように、どんどん過剰な方向に増進するだろう。あらゆるタブーは、「それが何かを抑止するものである」という事実それのみによって、ポルノの記号として使用される。女性嫌悪インセスト、身体的侵襲、精神的虐待、そして性的記号としての身体器官そのもの。それはポルノグラフィのなかでどんどん激しさを増しながら使用される(会田の「極限の表現)がポルノと重複するのは、まさにこの点にいおいてである)。女子大生から女子高生へ、そして女子中学生から女子小学生へ、人妻ものから義母もの、そして実母ものへ。あるいは非生物学的なまでの「巨乳」もの…、そういったようなことだ。

もちろん、これらを陰謀論的にとらえてはなるまい。誰か(ポルノ業者、政治権力、資本制、男性社会…)が意図的にそうした状況を作ったわけではない。彼らはたまたまそうなっている状況を利用しているにすぎず、その行動がまた状況を強化するというフィードバックが生じているにすぎない。だが、だからといって問題がないわけでもないだろう。実際にポルノを消費している人たちに罪はないにしても(ある状況のなかで生きる人たちが、その状況に対して適応したり条件づけられたりしていることを誰が咎められよう?)、そしてまたポルノの制作や消費において、実在の個人が身体的・精神的に侵襲しているわけではないにしても、「理想的には、性はそのような形式に縛られていないほうが望ましい」というのは、かなりの程度確かなことだ。

あるいは、「ポルノグラフィの氾濫と嗜虐性の昂進」が「結婚はおろか性的関係の機会すら持たない男性の増加」と並行して進行していることも考えに入れておくべきかもしれない。そのようなことは、抑制のない暴力性へと結びつきかねないし、性交渉そのものを暴力的なものに変質させかねない。


我々は、だから、この問題について、何かをしなければならないだろう。どうすればよいのか?正直なところ、それはわからない。難しすぎる。単純な性の解放が答えになるという確信はもちろん持てない(というよりも、今の性の記号の体系は解放されたがらないのではないか?)。といって、抑止することは、単に構造を強化するだけだ。何とかして、性そのものを相対化するというようなことができるとよいと思うのだが…。

文楽:忠臣蔵の感想

11月に文楽忠臣蔵の通しを見にいった時の感想。フェイスブックより転載。

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昨日の文楽でとても印象に残ったのは、「嘘のつき方」の細やかさだ。

文楽はもちろん、人間が人形を操り(また別な一人の人間が全てのセリフを発声して)表現しているわけで、おかげで僕らは極限的な状況設定や、極端なキャラクターにも抵抗感を抱かずに「お話し」として楽しむことができる(そして、その中からリアルライフについての深い洞察も得られるわけだ)。

だけど、その人形たちの世界を「リアル」にする工夫を、文楽は怠っていない。たとえば、夜に外で文を読むシーンではちゃんとロウソクで手元を照らす芝居をする。あるいは、見せ終わった書類を片付ける、というシーンでは(実際には人形遣いの人が持って動かしているのだが)かならず人形がそれを持って脇に置く、という芝居をきっちりとする。そうすることによって「これは真剣に見ることになってるんですよ」というメッセージを発しているのだ。

それによって、僕らは安心して懐疑を停止して、舞台に没入することができる。最初に「これはフィクションであり、リアルと離れていることは問題ではない」というメッセージがあり、次に「これは真剣に信じることになっている嘘である」というメッセージがあるわけだ。

ちなみに、この二つの記号は奇妙な形で混信することがあり、僕は何度か顔出しをしている人形遣いの人をみて「あれ?この大きな人たちは、ここで何をやってるんだろう?」と感じる、という不思議な経験をした。人形のサイズに合わせてつくられたセットからすると人形遣いの人はあきらかに巨人で、次第にそっちの方がおかしく見えてくるのだ。

キャラクターに発声させず、「外からの声」に会話、内話、作者の声を全部やらせる、というのはたとえばギリシャの古典劇のコロスなんかがそれだと思うのだが、ああいうのは「演劇とは何であるか」ということについて、本質的な何かを表現していると思う。文楽の場合は、それに加えて人形であるということで、更に念には念を入れているわけだ。

もっとも、ギリシャ古典劇の場合は人間が操り人形のようにふるまうということで「うそっこ」であることがさらにわかりやすくなっていると言えなくもないわけで、その意味では、比較的近年に始まったといわれる人形遣いの顔出しは、文楽におけるそちら方面へのフォローであるといえなくもない。いずれにしても、重層的に記号が飛び交う、大変興味深い場であることは間違いないと思った。

ところで、比較的近年に…ということでもう一つ気になったのは台詞(というか浄瑠璃語り)である。文楽の言葉は、基本的に大変分かりやすい。「台詞」に相当するところには底本では意味が分かりにくい所があるが(でも人形の動きをみると大体わかる)、「地の文」はほぼ聞いただけでわかる。というか、史料を(活字でだが)読んでいる経験からすると、これは「わかりやすすぎる」。江戸時代の文章があんなにすっと入ってくるというのは信じられないのだが、あれは本当にオリジナルのままなのだろうか。僕なんかはつい、明治以降に改訂されたりしてるんじゃない?とか思ってしまうのだが。

*追記

  1. ちなみに、行ったのはこれ(PDF)。仮名手本忠臣蔵の第一部(大序〜六段目まで)でございました。http://www.ntj.jac.go.jp/assets/files/bunraku/pdf/H2411bunraku.pdf
  2. あと、義太夫語りはすべての役を(声で)演じることになるので、「素人ながらあれをやりたい」という人が出てくる理由はよくわかった。同時に、無理矢理集められて大家さんの義太夫節を聞かされる店子の嫌な気持ちもw
  3. ツイッターでやり取りしていて、狂言好きの人から「口語だと江戸時代のものでも、かなりわかりやすいですよ」という意味のことを教えていただいた。そういえば、史料は全部文語だね…

レ・ミゼラブル映画版の感想

レ・ミゼラブル」の映画版を見てきた。ツイッターで書いたのとほぼ同じなんだけど、一応まとめて転載。

僕は「レ・ミゼラブル」のミュージカルの大ファンで、たぶん9回くらい見ている(小説も読んだ)。それが映画化されるということでちょっと心配と、ミュージカルの制作陣があのエネルギッシュなやり方で映画にもかかわっているということでちょっと安心と両方あってみた。

結論からいうと、良かった(冒頭のCGはちょっとどうかと思うが、そこからあとはいける)。すごい。名作である。普通に始めてみる人はなんというか「格差社会もの」として見られると思う。すごく泣く。

特に院生崩れとしては、「人生はこんなふうになるはずじゃなかった」と唄われたあたりでもうボロボロである。ネタバレは避けるが、それがああなってこうなって、綺麗事じゃない分、ほんとうにガンガンくる。

小説版*1を知っている人は、(舞台では省略されている)細かなネタが結構拾われていることに感慨を覚えると思う。「お、そういえば」「む、この人は」というシーンがあちこちにある。脚本も監督も、みんなあの変なエッセイでいっぱいの小説を読み込んだんだなあ、という感じである。

そしてミュージカルのファンとしては、やっぱりナンバーが気になるところ。曲はほぼ全曲ある(僕が気づいたところでは "dog eats dog" だけがなかったように思うが、見落としがあるかもしれない)。アレンジなどはほぼ舞台のとおり。歌のうまさは、もちろんミュージカル俳優ほどではないが、気になるレベルではない。普通に感動できる。オリジナルのナンバーも一曲(名曲ではないがまずまず)。

面白いのは、映画になることによって、これまであまり目立たなかった曲に光があたること。とくに独白っぽい曲の迫力が舞台版よりも増しているように感じられた。("who am I ?" "bring him home" "empty chest and table" あたり)。残念だったのはテナルディエのナンバーと ”a little fall of rain"。でも問題ない。

それと、コゼットが本当にいい。多分歴代最強コゼットである。とにかく、この映画は本当にいい。見逃したら一生後悔する。お勧め。

*1:改めて言う必要はないと思うが『ああ無情』である。鹿島茂による解説本も秀逸。

左派ってこれからどうするのか

選挙の前後に「左派(左翼)のこれから」についていろいろツイートしていた。ちょっといじったら一つの文章になりそうだったので、まとめ。


8−90年代の個人主義(というか、反集団主義)的なムーブメントが共同体主義をへて排外的なナショナリズムにつながっていく流れっていうのは、00年代の前半には見えてきていたかな、と思う(このへんは、たとえば薬害エイズ拉致事件の言説分析などをやると面白い。同じフォーマットが左翼的な主張から右翼的な主張に転用される様子が実によくわかる)。

こういう思考の特徴というのは「自己への愛」がそのまま「国家(世界を包含する共同体)への愛」につながっていることで、その先駆的で極端な形のとしてのオウムから「量産型」としてのセカイ系、ややマイルドなあり方としてのJリーグまで、色々な形がある。そこで問題なのは、対話が存在しないことだ。「敵」と話し合わないのはもちろんだが、「仲間」だってたまたま立場が同じだから隣に立っているだけで、理解や調整はない。立場が異なればもちろん容赦なく敵認定されるだけだ(このへんはネットとか在特会とかみるとよくわかる。もちろん、これは70年代以来の左翼の行動様式でもある)。

これは「若い奴がわるい」という話ではない。自立した個人が無媒介に連帯する、というのは誠に魅力的な枠組みだ。排除されてしまう人がいるなら問題だが、そこを克服できればOKではないか。僕自身もそういうものに期待をかけていた時期はある。たとえば福祉とか環境とかいったものを「共通する利害の基盤」として期待したのだが、3.11がそういうものを徹底的に打ち砕いてくれた。人は環境問題を挟んですら対立できるし、生活の基盤や場所ということを考えるとそこにも利害がからむのだ(福祉がダメなのは世代間対立でわかった)。

要するに90年代型のあれはもうだめなのだ。僕らはもっと別な方法を考えなければならない。

しかし、だからといって集団主義に戻ることももちろんできまい。僕は二つの方向性があると思っている。一つは、比較的小規模なコミュニティ。たとえば生協や直販のような、持続的な関係が維持できる形だ。もう一つは個人的なつながり。こういうものを幾つも持って、柔軟に使い分けていくというのがベストなのではないか。
いずれにしても、社会を「コインを放り込んだらすぐに結果が出てくる自販機」のように見なすやり方には限界があるし、僕らはすでにそれを辞めつつあると思う。たとえば、ツイッターを通じて。次の課題は、これを社会全体に広げていくことだ。

これだけの人数がいて、しかもSNSでつながっているのだから、「我々(つまり高学歴の左派ってことだ)が政治勢力になってしまう」ということは考える価値があるのではないかと思う。もちろん、自ら選挙に打って出るとか、そういうことを言っているのではない。我々はごく少数であるにすぎないことは選挙の結果が証明している。仮に、何かの間違いで議席を取れたとしても、そのあと国会で「世間はわしらと考え方が違う」に遭遇する羽目になるだけだ。だから、そっちに解決策はない。そうではなくて、僕らの考えていることを、世間に対して積極的に広めていくことはできないだろうか。

もちろん、既にシノドスがある。思想地図もある。しかし、あれだけで十分ということではないようにも思う。性急に「社会全体に訴える」ということを考える必要はなく、インテリ層の中で話を煮詰めていくということで十分だとは思うのだけど、とにかくツイートでちょこっと盛り上がる、というだけではない形で、何かやっていった方がよいのではないかと思う。大学進学率も、大学院進学率も確実に上がっているのだ。その層に対して働きかけ、そこからムーブメントを社会全体に広げていくという方法が絶対にあるはずだ。もちろんきちんと「面白く」「持続可能形で」やっていく必要があるのだけど。

左翼に関しては本当に何かを考えないといけない。労組の組織率がガタ落ち、残っているところも既得権益化、論壇も壊滅、という状況ではヨーロッパ的社民主義勢力なんかが生き延びられるはずがない。しかし、世界的に見えればそういう勢力はむしろ伸長しているわけなので、方針というよりは方法が間違っていると言えるのだと思う。何かやりようはあるはずだ。

現実はと言えば、要するに「マスに対する働きかけの面で左翼・リベラルは敗北した」ということだろう。じゃあそれをどうするのか。僕にはよくは分からない。ただ、一つ言えるのは、メディアや大衆に文句を言っているだけで何かができることにはならないだろう。「投票率が低いこと」「特定の社会階層に閉じていること」がリベラルの問題なのではないと思う。問題はその「投票に行った人」「インテリ層」の中ですら共感を広められないことだ。

そういう状況で左派/左翼/リベラルが「社会を動かせる」かというと、そりゃ無理というか、おこがましいというかでしょ、という感じがする。メディアの提示する図式を超えるとか、そういうのは難しい。というか、メディアの人自身が国民に絶望しちゃってるもの。僕がちょっと知っているメディアの人はまあ左翼・リベラル系のおじさんばかりなのだけど「そんなこと言っても売れないですよ」「みんながそういうのを望まないんですよ」的なことをおっしゃることが多い。こういう非・信念を説得によって覆すことは困難だ。
実は在阪某局のラジオ番組の打ち切りについて漏れ聞いたのだが「とにかく予算が足りない。ラジオで報道番組をつくることは不可能」という、分かりやすい話だった。それはもう納得するしかない。商売でやってて売れなかったらどうしようもない。

つまり、「大衆に訴えかける」「大衆を動かす」というモデルそのものがもう無理なのだ。ならば、その状況にあった方針でやるしかない。つまり、比較的小さな規模で、顔の見えるネットワークを使って、持続可能なやり方でやれるようにするしかあるまい。
言い換えれば、まず「リベラル」「左翼」の中で完結・成立できるようなことをやるのが先決だということだ。そこで食えるモデルをつくらないとどうしようもあるまい。それができて初めて、「世間一般に働きかける」ことができるようになる。今や、インテリは農家からアートまで幅広くカバーしているのだから、その中で自給経済圏wを確立することは不可能ではないと思う。マッチポンプと言われようがなんだろうがまずはそこからなんじゃないだろうか。