正義ではないかもしれないけど

21世紀の世界では、善意と攻撃、協調と対立、戦争と平和、自由と束縛、連帯と分断の区別があいまいになり、時に一体化している。そこでは平和のために戦争が必要になり、人道のために殺し、協調のために敵を作り、自由を守るために人を拘束し、それが市民の連帯の名のもとに正当化される。

たとえば、「内戦で大量虐殺が進行中の国がある。止めるには軍事介入しかない。だが、PKFに派兵すれば武装勢力から敵とみなされ、報復を受ける。テロリストが攻撃のために入国してくる可能性がある。いや、もうすでにそのシンパとなる可能性のある難民が国内にいる」というような状況だ。

そこでの一つの正解は「海外での人道介入に積極的に参加しつつ、テロ対策として出入国管理を強化し、通信を監視する」というものだ。それが答えであり、正義ですらあるかもしれないことは否定しない。

ただ、他の行き方もあると思う。それは、厳格よりも寛容を、原則よりも事情を、組織よりも個を、常に優先するものだ。

それは常にどんくさい。すっきりしない。成功は目立たず、目もくらむような失敗も多くなる。組織の中にいる個の事情も知る、という複雑な作業も必要になる。だけど、僕はその道を行きたいと思う。