戦時性暴力としての「慰安婦」問題について

某所に書いたメモを再掲。

問題の構図

1. サバイバーへの攻撃の構造

ネット右翼や行動保守などの人のこの問題へのアプローチにはいくつかの共通点があって、その一つが、「慰安所」の実態を証言するサバイバーの方々や、その支援者の方々を攻撃するというものだ。不愉快だが、あえて実例を見ておこう。以下は、吉見義明さんの『従軍慰安婦資料集』へのレビューとして、アマゾンに掲載されている、匿名の読者によるものだ。

「昔から嘘の例えに「女郎の誠」というのがあって、女郎の身の上話など誰も本気で信じたりはしなかった。売春婦は嘘をつくのが商売みたいなものだからだ。ところが現代の無垢な日本人は、元慰安婦と称するお婆ちゃんが泣きわめいて悲劇のヒロインを演じているのを見ると、コロッと騙されるのである」
http://www.amazon.co.jp/%E5%BE%93%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E8%B3%87%E6%96%99%E9%9B%86-%E5%90%89%E8%A6%8B-%E7%BE%A9%E6%98%8E/dp/4272520253

また、小林よしのり氏も次のように書く。

「元慰安婦の老婆が泣いて訴えているとなると、この上ない「弱者」に見えるから、当時は一瞬で信じた人が多かった。わしが元慰安婦の証言を検証すると、なんという冷酷な男だと、特に女性からの反発はすごかった」
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=joum7te4c-1998#_1998

表現の形態は多様で、時に巧みに偽装されてもいるが、ポイントは明確だ。攻撃者たちはサバイバーの証言が嘘であると主張し、その主張を彼女たちが「売春」行為をしていたという点に結びつけるのである。その典型例が(これも不愉快だが敢えて引用するが)ザイトク達が街頭でしばしば使う「嘘つき売春婦」というキャッチフレーズである。
言うまでもないことだが、これは差別だ。そこでは、セックスワークが、「反道徳的なるもの」の領域へとおしこめられ、さらに女性のセックスワーカーが、女性のセックスワーカーであるというだけの理由によって「様々なタイプの反道徳的行為を行いがちな人」というレッテルを貼られている。

2. 証言の無効化

攻撃者たちがおこなおうとしてるのは、「慰安所」サバイバーの人々の訴えを無力化しようとすることだといってよい。証言は嘘だと言ってみたり、利用されていると主張したり、当時は合法であったと言い募ったりする。言い方は違っていても、それは彼女たちの訴えを否定しようとするものだ。さまざまなスティグマとともに「売春婦」という呼び方を押し付け、その傷は受けて当然か「やむをえない」ものであったと言い、その怒りは不当なものだといおうとするのだ。セックスワークに関する差別を言い立てて支援運動を批判するものや、「愛国的」行為であったことを強調しようとするものなども、すべてこのタイプに属する。だが、当事者の怒りを無効化し、自分たちに都合の良い図式に収まることを強制する行為に、いかなる正当性があるというのだろうか。

3. なされるべきこと

サバイバーの人々の証言には、様々なタイプものがある。しかし、そのすべてに共通するのは、彼女たちの心と、体と、人間関係と人生とに刻み付けられた、深い傷である。ある人は子どもが産めない身体になったといい、ある人は結婚しても夫婦関係が円滑にいかなかったと嘆き、ある人は人間不信になってしまったと訴える。そのような傷を癒すのではなく否定することを考えるのは、差別意識と利己性に突き動かされる者たちだけだ。
もちろん、僕らは傷をなかったことにすることはできない。だが、人を本当に傷つけるものは何か、考えることはできる。それは、世界からの疎外、疎まれていると感じることなのだ。世界中が自分を傷つけようとしているように感じられること、誰も謝らないこと、誰も自分を傷つけた人を非難しないこと、自分の経験が事実や教訓として尊重されないこと、皆が「お前の傷はしかたがなかった」と言うこと。僕らがすべきことは、まさにその逆だ。サバイバーの人々の話を聞き、それを尊重し、加害者の処罰や補償をおこない、未来への教訓として受け止め、制度や法を改正すること。サバイバーの方たちが「これが自分の住むべき世界だ」と感じ、進んで参加していただけるような世界をつくること。

問題の本質:戦時性暴力

4. セックスワークの位置づけ

傷は、どこからくるのだろうか。一つには、当時の文化から来るのだと思う。これも、攻撃者たちが都合よく見落とすのだが、多くの証言では「男性の相手をさせられていたことを、誰にも言えなかった」ということが語られている。中には、工場での求人に応じて慰安所に送られ、強制的にセックスワークに従事させられていながら、故郷の両親には「工場で働いている」という手紙を送っていた人もいる。戦前の資料や小説などを見ても、セックスワーク一般が「道徳的に劣ったもの」として、差別的なまなざしで見られていたことは明白だ(もちろん、仲には「逆張り」的な意味合いにおいてセックスワークやその従事者を称賛するようなことを描いた人もいるが、それが一般的なものであったと考えることはできない)。何らかの同意があったと言ったところで、傷がましになるわけではない。しかも、多くの場合にはセックスワークであることを伏せて求人したり、本人の同意なく人身を拘束したり、目的地を偽ったり移動中を略取したりしたのだ。武力を背景に慰安所でのセックスワークを強要したケースもある。そのような非道が、人の心に傷を残さないとしたら、そのほうがおかしいだろう。

5. 暴力

慰安所では、しばしば、はっきりとした暴力が振るわれている。朝鮮半島や中国から送り込まれた人の場合、女性たちは初潮すら迎えていない10代前半の少女であることがしばしばあった。日本軍は性病の予防を重視していたので、そのような病気に感染していない女性を利用しようとしたのだ(性病は兵士としての運動能力を失わせ、治療に長い期間が必要とされるので、軍隊の戦力を削ぐものとして嫌われた。ただし、後述するように予防は概ね成功していない)。こうした女性たちは性交渉の経験がなかったのでセックスワークに従事するためには体に外科的な措置を行う必要があり、それがしばしば暴力的な形でおこなわれている。また、慰安所の経営者による支配のための暴力があり、軍人たちによる性交渉と一体となった暴力もあった。さまざま暴力が、女性たちを傷つけた。

6.奴隷的拘束

慰安所における日常生活をみてゆくと、それがセックスワークと食い違うことがはっきりする。女性たちは男性との性交渉をもつその部屋を居室として使わされており、日常生活の自由は全くなかった。表面上、給与や契約が存在することになっていたはずだが「そうしたものは見たことがない」「給料を受け取ったことはない」という証言も多くあり、女性たちに知らされていたかどうかは疑問である。また、多くは外出の自由もなかったようだ。外出などについては地域や施設によって濃淡があり、中には他よりもマシなところもあったようだ。だが、全体として女性たちの境遇が奴隷的拘束にあたり、正当なセックスワークなどでなかったことは明白である。

7. 性暴力

慰安所での実態は、セックスに関わる部分でも過酷だった。これらも場所によって濃淡があるが、女性一人が一日に相手をさせられる男性の数は、多いときには7−8名から30名以上になることがあった。慰安所における「過密」状態については、元兵士の証言もしばしば得られているところである。そのような大人数との連続した性交渉は、しばしば女性を身体的に傷つけた。それはセックスワークではなく、性暴力である。女性たちはしかし、苦痛や疲労を理由にセックスを拒否することはできなかった。また、ほとんどの証言者が生理中でもセックスを強要されたという点で一致している。

8.搾取

女性本人や家族に「前借金」という形で金をわたし、その元本と利子の返済を強要することで売春業に縛り付けること、調度品や衣類、日常生活用品や食料品を本人の負担として給料から天引きすること、女性たちの負担金を高額に設定して新たな借金を作らせその返済の名目で無給で働かせること、などは日本のセックスワーク経営に伝統的に見られた搾取の構造であった。慰安所でも、それらのことが日常的に行われていた。更に、女性が若い、教育に欠ける、日本語能力に欠ける等の弱点を持つ場合、そうした形式的な名目すら示さず、暴力によって支配し、搾取する場合もあった。

9.ケアの不在

コンドームの使用が徹底しなかったため、女性たちはしばしば妊娠させられたり、性病に感染させられたりした(この後者が、日本軍の性病対策が失敗した理由である。兵士から女性への感染を、彼らは防ぐことができなかった)。このような場合、慰安所の運営を円滑に維持するため、女性には妊娠中絶や病気の治療などが施されたが、その医療水準はしばしば劣悪であったようである。また、医療行為が失敗に終わった場合、女性たちはしばしば死ぬに任された。このようなことは基本的な人権の蹂躙であり、奴隷的拘束の一部である。

10.戦時性暴力

これらのことをすべて考えあわせると、慰安所において行われていたことがセックスワークの範疇に入ることであると言う事はできない。これらのことは戦時における性暴力であり、人に対する奴隷的な扱いであるというべきである。こうした行為の被害者となった人々に対してなすべきことは、名誉の回復と補償であって、それ以外ではない。

攻撃の性格

11.証言への攻撃の論理


攻撃者たちは、それでも、こうした事実を否定しようとする。彼らがおこないうるただ一つの行為が、証言への攻撃である。だが、その論法は奇妙な循環をなす。「証言は嘘である」「なぜなら、証言者は売春婦であるからだ」「証言者が売春婦であるといえるのは、証言が嘘だからだ」と。
この、奇妙な論理を支える前提を、再び小林よしのりに見よう。米軍の有名な報告書内容を紹介して、彼はまず次のように言う。
「これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、大部分は売春について無知・無教養であった。…この好条件の「役務」が実は何を意味しているか、当時の大人ならわかっていたはずで、本人は知らなくとも、家族は事情を承知していたはずである」
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jov8yr5b1-1998#_1998
家族云々は「身売り」に関する彼の議論とかかわるのだが、それはさておこう。少なくとも、この、米軍によって救出され、調査された女性たちが自発的にセックスワーカーになったのでないことは、小林によって認識されている。だが、この次の回において、報告書が(侮蔑的に)女性たちのパーソナリティを描写しているところを引用して、彼は次のように言う。
「よく観察しているとしか言いようがない。ある意味、典型的な娼婦の性格と言えよう」
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jorgjm46o-1998#_1998
つまり、彼はこのように言いたいのだ。「娼婦には、固有の性格がある。それは、不特定多数の男性とセックスをするという状況におかれることによって、女性に身につく」と。言葉を変えて言えば、「たとえ強要されたにせよ、セックスワークによって女性は穢れる」ということだ。ここに示されるのは、単純かつ古典的な女性への偏見であり、醜悪としか言いようはない。

12.サバイバー攻撃者の理想世界

それでもなお、「慰安所制度」サバイバーの経験が、別様に語られた可能性を想像することはできよう。たとえば、日本の軍事的敗北という「偶発的」事態がなければ、その語りは抑圧され、少なくとも「告発」を伴うものにはならなかっただろう。
だが、現にそのようにならなかった世界において、そうした仮想を理想のものとし、サバイバーの語りをそのようなものに変形させようとする試みは(これこそがまさに上品な語り口を伴う歴史修正主義者がなそうとしていることだが)、どのような意味を持つだろうか。そのような価値観は、民主主義を否定せざるを得ず、平和主義を拒否し、戦後の反映を打消し、なによりも民族自決と反植民地主義の原則を否定するものにならざるをえない。それが正義であろうか。

13.なすべきこと

性的暴力の被害者としての、「慰安所」サバイバーの語りを攻撃することは、結局、女性差別か、人類の大義への攻撃か、またはその両方に帰結するほかない。その逆であることは、当事者によりそい、その名誉を回復し、損害を補償し、共に参加できる世界を構築することにほかならない。どちらを選ぶべきか、答えは明白である。