スポーツって芸術の一種だと思う

スポーツは芸術の一種だと僕は思っている。絵をみて「すげなあ、上手いなあ」と思う。焼き物の歴史を知って「そうか、そういう風に技術が発展するんだ」と思う。小説を読んで「うわあ、どうやってそんな風に発想するんだ。俺には書けないわ」と思う。そういうのは全て、大きく言えば人類全体の、小さく言えば僕の認識の、可能性を拡大することだ。直接生産や生存に結びつかなくても、そこに価値がある。

スポーツもそうなのだと思う。選手たちは、自分の身体を使って、人類にやれることの可能性を拓いているのだ。そのとき、飛び抜けてすごい結果を出した人が、自分と文化や伝統を共有していたら嬉しい。それは、自分にも身近な条件のなかからどれだけのものを産み出せるか、ということの証明だからだ。でも、全然違う世界から来たひとがやっていてもやはり嬉しい。僕達の種族にどんな可能性があるのかを、その人は見せてくれているのだから。

「国を背負う」とか「背負え」とか言った政治家の人は、ある意味ですごい。なぜなら、「我々の国は、芸術のために力を尽します」「自分はそういう国を作りたいと思います」と言っているのだから。

もちろん、それが本心であろうはずはない。どこかで、政治的目的とスポーツの原理が相反することになるに違いないからだ。だけど、そのギリギリまでは、スポーツが政治を利用してゆく。そういうことになるのだと思う。

美術や文学などと違って、スポーツはあからさまな反逆の要素は少ない。でも、ナショナリティや政治権力と道をわかたなければならない瞬間は必ずある。もちろん、先に行ってまた合流することもある。そのへんをきちんと見極めること。それも大事なのだと思う。