合理的なひどいこと

今朝テレビを見ていたら、エジプトで養豚業者が警官隊と衝突、というニュースをやっていた。かの地では、政府が新型インフルエンザ対策として、念の為に国内で飼育されている豚を全部殺処分するという決定をくだしていて、これに業者が抗議しているのだそうだ。
それで思い出したのだけど、数日前には東京にあるメキシコが経営するメキシコ料理店が新型インフルエンザ騒ぎ以来、客足がばったり…というニュースもあった。どっちも「なんだかなあ」という話である。

すぐにわかることだが、エジプトはイスラム教徒が大多数を占めていて、その人たちにとっては豚は禁忌である。日本でも、外国人は嫌われる…とは言わないまでも、「いなくても困らない存在」だと見なされていることは疑いがない。だから、これらの話の裏には、偏見とか狭量とか、そういうものがほの見えるわけだ。当然、報道もそういう方向でなされていた。

まあ、それはいい。というか、当り前の話である。

だが、僕はこの話が100%メチャクチャなことなのかどうか、確信が持てないでいる。たとえば、昨日、カナダで新型インフルエンザに罹った人から健康な豚にインフルエンザが感染した、という話があった。もともと豚の病気だしそういうこともあるだろう、という話なのだが、専門家によると、豚の体内でウィルスが変異したり、他のウィルスと混ざったりしてより危険な病原体に変る可能性があり、監視が必要なんだそうだ。

それならば、そこに豚がいなかったほうが安全なのではないか。素人考えだけど、僕はそう思う。少くとも、エジプト政府がそう主張したとしたら反論するのは困難なように思う。あるいはメキシコ料理店。確かに、東京にある店だから新型インフルエンザとは無関係かもしれないが、最近メキシコからやってきた人や、運び込まれてきた物を通じてウィルスが店内に持ち込まれている可能性は、わずかかもしれないが、ある。そのリスクは、たとえば内陸部の山奥にあるそば店におけるそれよりは確実に高い。そのように考える人がいたとして、それは間違いなのだろうか。
僕は、合理的な疑いをさしはさむことは困難なように思う。

差別や偏見が良いというのではないし、合理性が全てであるというのでもない。だが、正当な予防措置と不当な差別の間の線は、時としてとても細く、薄い。こういう「合理的な偏見」とでも言えるものにどう対処するのかというのは、これからの時代、僕たちの深刻な課題になるのだと思う。