テロは克服できる

ニューズウィーク日本語版』2009.3.11号の記事「忘れ去られた暴力の嵐」がなかなかいい(58-9ページ)。こう始まる。

ウォール街を南へ進んでいた一台の馬車がJPモルガン商会の正面で止まり、爆発したのは1920年9月のある朝のことだった。
イタリア人無政府主義者マリオ・ブダが仕掛けたとされる世界初の「車爆弾」には50キロのダイナマイトと250キロの鉄片が積まれていた。場所はニューヨーク金融街の最もにぎやかな一角。時刻は昼休みの始まり、まさに最大限の効果をねらった爆破だった。
死者40人、負傷者数百人に達したこの事件は1995年にオクラホマシティー連邦政府ビル爆破事件が起きるまで「アメリカ史上最悪のテロ」とされていた。
JPモルガンの建物の外壁には今も爆発の痕跡が残っている。だが、エール大学のビバリー・ゲージ准教授が新著『ウォール街が爆発した日』で指摘するように、事件やその背後にある「テロの時代」のことはアメリカ人の記憶からほぼ消えてしまった。


ウォレスウェルズ記者の手になるこの記事には二つの優れた点がある。ひとつは、都合よく忘れされられている「テロの時代」のことを指摘することで、今日われわれが史上空前の時代にいるのではないということを教えてくれること。文明社会がかつてない挑戦を受けているわけではないのだ。

ふたつめは過去の社会がテロを克服した方法を思い出させてくれることだ。 記事はこう終っている。

私たちは危険な時代に生きているが、危険な時代は過去にもあった。そして理性や知識は暴力に勝利したのだ−−テロリストの価値観をたたきつぶすのではなく、進歩的な法律や労働組合の創設、賃上げ、市民の権利を制度化してうまく吸収しながら。
動乱の時代を振り返えれば、そこにリベラルな価値観のもたらす一つの道筋が見えてくる。