似てるな、というだけ

ちょっと興味をひかれて長谷川四郎の短編を読む。そして、この人は実に村上春樹だと思う。たとえば、連作短編「シベリヤ物語」の冒頭のくだり。

汽車で通過してしまう人にはちょっとわからないかもしれないけれど、徒歩か馬車か或いはトラックで、周囲の高原をこえて、この町へ近寄ってゆくならば、まずもって遠くから、だんだん見えてくるのは、ロシヤ寺院の高い尖塔である。さらに近寄ってゆくと、玉ネギ形の円屋根が見え、それには十字架も欠けていないことがわかる。

(『堀田善衛 長谷川四郎集』筑摩書房、p283)

ちょっとわからないかもしれないけれど、という語り口が絶妙に似ている(もちろん長谷川が先だ)。あの文体にはそれなりの系譜があるんだなあ、とつくづく思った。

ついでだけど、同じ本に入っている堀田善衛の「方丈記私記」は小松左京の「地には平和を」と発想が一緒だと思った(ちなみに、こちらは小松左京のほうが先)。