1.はじめに:「なぜアウトローなのか」

日本の「アウトロー」と呼ばれる界隈について、調べたり喋ったりしている。といって、現実のそういう世界に興味があるというわけでは必ずしもない。そもそもの発端は左翼の将来について考えていて、そこでなんだかもやもやしたことだった。

しっかり調べたわけではないのだが、どうも僕自身を含む左翼の世界観の中では、社会に「やくざっぽい人」はいないことになっている気がする。平等、共働、再分配の世界にみかじめ料を取ったり賭博をさせたりする人の場所はない。

もちろん、悪いことをする人がいなければ困る、というわけではない。いなければいないでよい。しかし、現実の我々の社会にはそういう人がいるというのもまた事実だ。ならばその社会的機能を解消するなり代替するなり容認するなりしなければ(そういう仕組みを考えなければ)、ちゃんとした社会の構想にはならないのではないか。というか、そもそもそこにある機能とは何か。ヤクザ方面の人は社会でどんな役割を果たしているのか。もちろん「ルンペン・プロレタリアート」という便利な概念があるのだが、果たしてそれで十分なのだろうか。

また、その一方で、アウトローの世界というのは、左翼的にちょっとグッとくるものでもある。そこには反権力とか義理人情とかいうキーワードがあって、それが実践されている感じがするのだ。そして何よりも民衆の世界だ。左翼にはとても魅力的だ。でもリアルのやくざの人はどうも右翼っぽかったり、民主的でなさそうだったりする。そのあたりはどう考えたらいいのか。

というかちょっと待て。民衆のどうこうというのは一体何の話なのか。そもそも、なぜ「ヤクザ」じゃなくて「アウトロー」とかいうのか。

…うん、まず、その辺から。

ヤクザとアウトロー

たとえば、「鶴見騒擾事件」というものがある。短く要約していうと、これは1925(大正14)年におきた大規模な喧嘩騒ぎで、現場になったのは神奈川県橘樹郡鶴見町潮田(現在の横浜市鶴見区潮田町)だ。二つの組織が鉄砲や狩猟用の大砲まで持ち出して半日にわたって市街戦を繰り広げ、死者3名、負傷者153名をだし、416名が逮捕された(人数については諸説で細かい違いがある)。関わった人の数が多く、騒動の規模が大きかったのは、直接の当事者だった二つの組織に色々なところからの応援が加わり、スケールの大きな争いになったからだ。

この事件はかなり有名な事件で、僕が今回読んだ本のなかでも、何回か取り上げられていた*1。では、これを「ヤクザの喧嘩の代表例」だと言えるかというと、実はそれはちょっとややこしい。というのは、これは厳密にはやくざ同士の争いではなかったからだ。抗争の原因になったのは発電所の建築工事を巡るトラブルで、基礎工事と建屋(建物)の工事を別々の建設会社が担当する、ジョイントベンチャーの形になったことが原因だった。基礎工事を請け負った建設会社の下請け業者が「その方式は理不尽だ。基礎工事をやった側が建屋の工事もやるべきだ」と言いだし、工事現場を占拠して建屋工事を請け負った業者に工事をさせなかったことが喧嘩の発端になったのだ。

抗争の一方の当事者(引き起こした側)の「三谷秀組」は博徒*2系の組織で、鶴見一帯を「仕切り」、工事の請負のほかに、建築ラッシュだった付近で工事関係者相手に営業していた飲食店などからみかじめ料もとっていたというから「ヤクザ」だとはいえる(Jv方式で他の請負業者が入ってくることは、彼らにとって「縄張り」の問題だったわけだ)。しかし、もう一方の「青山組」のほうは鳶職の組織から発展した業者で、ヤクザではない。しかし、ではカタギかというと、こちらには関西からヤクザが応援にきたりしていて、そうとも言い切れない。おまけに三谷秀組のほうにも港湾労働者や壮士*3の応援が来たりしていて、どうにも話がややこしい。「あれはヤクザで、こっちはそうじゃない。だから我々はこっちだけ扱う」とは、なかなか言えないのだ。

そこで、多くの場合、この問題に関心のある人は「なんとなくあっちのほう」というようなニュアンスで、「アウトロー」という言葉を使うことになる。向こうはこっちとは違う世界で、普通では考えられないようなことが起こる、というわけだ。

これは単なる印象の問題ではない。実際、鶴見の事件でも警察は事前に取り締まったり介入したりしなかったし、死者が出ているにもかかわらず、裁判で有罪になったのは30名程度、しかも懲役数年という軽い刑、というわけのわからない結末をむかえた。そんなことは、一般の社会では考えられないことだ。「ヤクザ」という名前が付けられないにしても、区別をする必要は確かにある。そこで「アウトロー」という用語が導入される。

アウトローと「法」

さて、アウトローといえば「法の外にいる人」である。町の外にひろがる平原の向こうから馬に乗った人が現れる西部劇のシーンなどが連想される。しかし、日本で「ヤクザっぽいもの」としてアウトローという言葉が使われるとき、それは無秩序を意味する用語としては使われない。その世界に一定の規範があることは、論者によってもはっきりと認識されている。

たとえば、礫川はアウトローという言葉を大変自覚的に使う人だが、同時に明治時代のスリの大親分、仕立屋銀次の話なども書く*4。銀次は明治20年代に隆盛を極めたスリの世界に君臨した親分の一人で、礫川によると大変よく整えられた階層的な組織を持っていた。スリたちは各自に割り当てられた縄張りの中で活動し、一日の終わりにはその日の盗品をすべて組織の担当者に売り渡すようになっていた。銀次等の親分はそれらの盗品を売りさばいて現金化するわけだが、全ての取引は台帳に正確に記録されていた。それどころか、これらの記録は警察に出された被害届ともつき合わされ、漏れ落ちのないようにクロスチェックされていたという。要するに「不正」ができないようになっていたわけで、スリたちは刑法にこそ違反していたものの、その世界における「法」には従っていたのだ。

つまり、ここでいうアウトローというのは「国家などの全体社会によって決められた秩序」の外にいる、という意味であって、全くの無秩序というのとは少しニュアンスが違う。しかも、更に重要なことに、礫川の記述では警察の関与がはっきりと指摘されている。被害届云々からもわかるように、警察は銀次の台帳をチェックしていた。この時期の警察官たちは、「品上げ」といってスリの被害者から依頼のあった盗品について、手数料を取って返還させるという犯罪行為を行ったりもしていたらしいが、もっと重視していたのはスリがもっている情報だったらしい。スリの親分たちは盗品だけでなく、手下のスリたちが目撃したり聞き込んだりした犯罪や犯罪者の情報を警察に提供し、その見返りに窃盗を黙認されていたのだ。警察はつまり、法を執行し、法による秩序を維持するために犯罪組織を利用していたのである。

このように考えてゆくと、アウトローの「アウト」たるゆえんが曖昧になってくる。「こちら側とあちら側」には、はっきりとした区別ではなく、「オモテとウラ」のような関係がある。両者は一体になっているのだ。

たとえば、1930(昭和5)年の国会では、ロンドン軍縮会議統帥権の問題で紛糾する事態を解決すべく、与党が「院外団」とよばれた政治系のアウトローを議事堂に乱入させるという事件があった*5。与党民政党の議員にヤクザの親分がいたためにそういうことが可能になったのだが、野党政友会のほうでも親分議員が子分を大挙上京させるという事件があり、幸い大事には至らなかったものの、オモテの政争とウラの抗争が混然一体となって展開された。

実は、鶴見騒擾事件でも、事態の収拾には政府や軍部と関係のある政治団体が収拾に乗り出してきている。裁判にも政治の介入があったらしい。また、スリのケースでも大親分の銀次の父親は実は元刑事で(幕末の岡っ引きがそのまま新政府に雇用されたというケースだろう)彼はこのあたりのカラクリに精通していたという話がある*6。オモテとウラのつながりはアウトローを論じる人に良く理解されているといえる。

アウトロー問題」

「ヤクザっぽいもの」のことを考えようとする人は大体このあたりにたどり着く。はっきりとした違いが感じられるのだが詳しく見ていくと線引きの根拠は曖昧になり、そもそもどんな区別が行われるべきなのかも分かりにくくなるということだ。これは「物事を真面目に考えすぎる人の些細な問題」ではない。区別の仕方がわからなければ問題に対処することが難しいということもあるし、そもそもこうした区別のあり方には我々の社会のメカニズムそものものが表れている。

改めて問題を整理しておこう。

  1. ここで考えたいのは「ある人々をアウトローと呼ぶ」という行為のことである。それらは社会全体で共有されているわけだが、ある場合には著作に分かりやすい形で現れるだろう(他の媒体で表現されることもあるはずだが、それについては今は考えない)。
  2. アウトローと一般との境界は、明白な単一の基準によって設定されているのではないようだ。アウトローについて考えるという行為のなかで「これはアウトローである。これはアウトローではない」というような区別の実践によって境界が設定されている(もっとも、そうした実践によって単一的な基準ができあがるということはあるかもしれない)。
  3. といって、この境界は一般常識から全くかけ離れたものであるということでもない(もしそうなら、それがそもそも本になって出版されることはないはずだ)。たとえば「そこには一般に『法律』として認められているものからの逸脱を含む」という理解は大前提として含まれると思われる。
  4. アウトローの世界にも一定の秩序があること、アウトロー社会と一般社会に接点があった(ある)ことは普通に認識されている
  5. つまりここで行われているのは、もともと「一定の秩序を持った集団」だという意味で同質の社会を、いったん「アウトローとそうでないもの」とに区別し、そのうえでこの二つのつながりを再確認するというややこしい作業である。これは何を意味するのか。

このようなことを、徐々に考えていこうかと思う。まず、語られる「アウトロー史」を確認しよう。

文献

*1:ここでの記述は、主に礫川2008と猪野1999による

*2:賭博の組織を運営するアウトロー。後述

*3:政治に関係するアウトロー

*4:礫川2008:153-172

*5:猪野1999:201-204

*6:礫川前掲。岡っ引きとアウトローのつながりについては、猪野1999や長谷川1977に指摘がある。