教科書検定とフィクション

色々飛んでるなあ、と思う。

政治的中立性というフィクション

教科書検定は政治的中立性を守るべき、という「つくる会」の人も、検定なんかいらない、という左翼の人も、根本的に間違えていると思う。公教育で子どもに歴史を教えるということ自体が、そもそも政治的行為なのだ。
それを前提にして何かをするしかないし、それを無化することはできない(歴史教育を放棄しない限り)。官僚ではなく政治家、あるいは教師、市民…が選んだからよりましな結果になるとは限らない。

均質的で安定した国家というフィクション

沖縄はずっと日本国の一部であり、日本国(の機関)は常に国民を慈しみ続け、国民から愛され続けているというフィクションがこの話全体をうっすらと覆っている。
もちろん、僕らは日本国でやっていくしかないんだけど、政治共同体は常に妥協の産物だ、ということくらいは認めてもいいんじゃないの、と思う。もう21世紀なんだしさ。