または、我ら罪ある世代について

(僕は渋谷系とかは知らないけど、あの時代に20代だったものとして、90年代についてはそれなりの苦々しさはある。2016年11月に書いたテキストを発掘したので、転載。今も、こんなふうにごまかさないと書けない。)

あれは封印されているはずだった。ネオ東京の地下深く、絶対零度の秘密施設に、ってそんな話じゃない。いや、大友克洋という言葉に心当たりがなければ、ここは読み飛ばしてくれ。僕が言ってるのはナショナリズムのことだ。
 

あれはもう、すっかり忘れ去られて過去のものになり、覚えている者たちも警戒を怠っていないはずだった。だから、僕たちはそれを使って一勝負かける気になったのだ。もちろん、ひどく思い上がっていた。戦後復興、冷戦終結、バブル…。見るべきものは何も見えていなかった。影の部分を忘れて、なんでもできる気になっていたのだ。 

「あの時代」の話をしよう。90年代の前半のことだ。僕たちの悩みは大きな問題がないことだった。資本主義が勝利し、その余波を駆って社会民主主義が普及しつつあるように見えた。人々は都市で生活し、市場と国家を通じてあらゆる必要を満たした。実態はもちろんそうではなかったが、そういう風に見えていた。あるいは、近いうちにそうなると僕たちは思っていたのだ。完全雇用が実現し、すべての人に(むろんジェンダー格差を超えてだ。僕たちは20世紀生まれだが、何もフェミニズムを知らないわけじゃない)安定した職業人としての人生が保証されているように見えた。そして、新自由主義新保守主義が世界を覆いつつあった。 

びっくりした顔をしなくてもいい。新自由主義新保守主義は格差が拡大する社会じゃなくても発達するのだ。あれが50年代から存在するというフーコーの分析を読んだことがないのか?まあいい、要するにあれは資本制の爛熟と関係があるので、貧しさや格差からくる何かじゃない。とにかく、僕たちには人々の連帯が必要であることがわかっていた。分断による支配のもとで、資本主義の暴走が始まろうとしていたのだ。このままでは大変なことになるのは明らかだった。そうなったらどうなるか、いまさら説明する必要もないだろう。大企業と資本家に富が集中し、国家さえも超える資本の論理が社会を支配し、福祉国家は破壊され、格差がどんどん拡大する社会がくるのだ。 

それくらいのことは、少しものを考える力持った奴になら、誰でもわかることだった。もちろん、警告しても誰も聞かなかった。みんな、今の生活に満足していた。このまま続けていけば何もかもがよくなると思っていたし、まずくいっても制御できると思っていた。チェルノブイリははるか海の向こうのことだったし、阪神大震災はまだ何年も後のことだ。社会は全能感に酔っていたのだ。 

もちろん、それは左派だって同じだった。なんでもできる気でいた。でなければ、ナショナリズムを利用するなんていう話を思いつくはずはない。いや、それは少し酷な言い方かもしれない。ほかに使えそうなものはなにも目につかなかったのは確かなのだから。 

なんでも生産でき、なんでも制御でき、なんでも消費できる社会は、欠乏を知らない社会だ。そういう社会は動かせない。人は強い欲望によって動くもので、社会を揺り動かすような強い欲望は基本的なニーズの欠乏からくるからだ。もちろん、個人個人はいろいろな欲望を抱いていたが、それは社会的な力としてまとまる契機を欠いていた。その一方で「再帰化」という話があった。宮台のあれだ。あれはややこしい概念だが、今はその全部を追う必要はない。要は、なんでも選択可能になるということだ。住む場所やライフスタイル、職業や人生設計、アイデンティティや性的オリエンテーションまで、何もかもが自由に選べる。その一方で、選ぶことのできない何かについての希求も高まる。 

もちろん、僕たちの目に入っていなかったのはマイノリティだった。そのことに関しては、何をどう言われたって仕方がない。メインストリームからの離脱が自由にできると夢想する一方で、マジョリティの世界から差別されている人たちの運命や苦悩がまったく目に入っていなかったのだから。あのとき、それがわかっていたら…、いや、そんなことを言っても仕方がない。言い訳にしかならないし、そもそも、「それがわかっていた」としても、僕たちはおなじ間違いをしたに違いない。問題はフレームワークが間違っていたことで、ちょっとしたボタンの掛け違えなんかじゃない。まあ、ボタンの掛け違えというのもそれはそれで厄介なものなんだけど。 

ともかく、それで、コミュニティの話になる。アイデンティティの一部としてのコミュニティ、地域のつながりを通じての自己実現、そんなものをつくって、人を釣ろうとしていたのだ。それはバラバラの個として社会の寒風にさらされる人々に必要なものを差し出すことになるし、それへの希求の力によって社会を動かせるし、さらにはその連帯を通じて資本とも対抗できる。悪いことなんか何もないように見えた。 

もちろん、何も考えていなかったわけじゃない。ナショナリズムの危険性はそれなりにわかっていた。だから、話はそこから遠そうなところから始まった。たとえば、ITを通じたコミュニティ。あるいは、流動的な市民運動、そしてスポーツを通じた地域交流。安全な回路を通じてのアイデンティティの希求への誘導。要するに、インターネットと薬害エイズとJリーグだ。それを作ったというつもりはない。だけど、90年代の初頭にそういうものが出ていた時、飛びついたのは俺たちだった。プライベートな時間を割き、それを趣味にした。世間の人々も、いろいろな理由でこういう活動に入ってきた。人生のすべてを活動を中心に組み立てる人すら現れた。

 最初のうち、何もかもがうまくいった。ナショナリズムもコントロールできていた。Jリーグは地域を中心に発達し、ナショナルチームの活動はリーグ宣伝塔として機能した。サイモン・クーパー、あの世界で一番ナショナリズムとサッカーの関係について敏感で、アヤックスですら情け容赦のない批判の対象にした彼ですら、日本のサッカーシーンを見て「これは、週末のナショナリズム、罪のない無害なナショナリズムだ」と言ったくらいだ。だけど、結果からみればそれは間違いだった。 

たとえば、ネット文化は敵意を中心に結集するコミュニティを生み出した。その代表例が在特会であることは言うまでもない。薬害エイズ拉致問題を経て嫌韓流へと流れこみ、草の根の市民運動は新しい教科書を作る会や日本会議を生み出した。Jリーグ熱はいつしかワールドカップ至上主義に転化し、ニッポン、ニッポンの大合唱が社会を覆った。その背後にあったのは、根強いナショナリズムと社会の貧窮の急激な表面化だ。「世間の人々のいろいろな理由」はだんだんそういうところに収束した。格差と不満が急速に激化するなかで、僕たちが始めた火遊びは手の付けられない暴走に変わっていった。

ある世代が抱いた夢がこれほどひどく裏切られることがほかにあったのかどうか、僕は知らない。というか、他との比較はどうでもいい。問題は起こってしまったことにどう対処するかだ。間違いをどうにかして正さなくてはいけない。そして、僕らは未だにネットを通じたつながりによって問題に対処しようとしている。ツイッターでカウンター情報を流し、フェイスブックでイベントを作っている。性懲りのない阿呆であるという以前に、たぶん、ほかのやり方を知らないのだ。たぶん、この風潮を僕らは墓場まで持っていくのだろう。というか、それができればいいと思う。自分たちが生み出してしまった災厄を、自分たちとともに葬り去ることができるとしたら、たぶんそれは望みうる結果の中でも最善ということになるだろう。

朝鮮人虐殺と山崎今朝弥

「実に日本人という人種はドコの成り下がりか知らないが、実に馬鹿で臆病で人でなしで、爪のアカほどの大和魂もない呆れた奴だと思いました」。 
これは明治から昭和にかけて活動した弁護士、山崎今朝弥が関東大震災朝鮮人虐殺について書いた文章の一部だ。山崎は大杉栄の弁護士にして友人で、布施辰治とともに多くの社会主義運動家の弁護もしている(金子文子と朴烈の弁護にも加わっている)。
山崎はまた、大変な悪戯者でもあった。権威、権力というものに違和感があったらしく、機会があればふざけずにいられなかったようだ。若い頃、信州で開業していた時には、営業広告に「弁護士大安売」というタイトルをつけ、「山崎博士法務局」を名乗っていた。
もちろん、彼の事務所は民間の機関で、学位は法学士である。「これはヒロシと読んでただの通称だ」「民間機関が『局』と名乗っていけないという理由はない」というのが彼の言い分だったらしい。
また、後に山崎は「平民大学」という法律講義のシリーズをやっているのだが(安価に法知識が得られるので人気があったらしい)その講演会が警察の手によって中止させられた時、「警察署長に『この野郎』と呼ばれ、名誉を棄損された」と言って正式に告発したりもしている。諧謔を反体制に利用しているのか、ふざけすぎて反体制になっているのか、ちょっとよくわからないところがある。善意に解釈するならば、権力があまりにも理不尽で、馬鹿馬鹿しすぎて真剣にやる気になれなかったのかもしれない。
が、その彼が全く冗談抜きで真剣に激怒していたことがいくつかあり、その一つが関東大震災朝鮮人虐殺だ。事件の全体像について、彼はいつもの調子でこのように述べる(なお、この文章は関東大震災の3か月後に書かれている)。「…大杉事件でも亀戸事件でも、自警団事件でも朝鮮人事件でも、支那人事件でも日本人事件でも、直接の下手人はことごとく個人としての暴漢凶徒に相違ないが、深くその由って来る処に遡れば、真の責任者は皆地震であり火事である。伝令使であり無線電話である。内訓告諭であり、廻章極秘大至急である。戒厳令でありその当局官憲である。その無智であり流言蜚語である。仮に地震がなく火事がなかったら、廻章も伝令も無線もなく、流言蜚語も起こらず戒厳令もなかった。戒厳令もなく軍隊も出なかったら、機関銃も大砲もなく、銃剣も鉄砲も出なかった。人気も荒まず、大和魂も騒がず、流言蜚語も各々その範を越えなかった」。
形の上では自然災害に原因があるようなことを言っているのだが、もちろん、彼が言いたいのはそのことではない。災害と暴徒を結ぶその中間項、軍と官憲をうまく批判しているのだ。
実は、山崎がさらに怒っているのは、事件の後でも「朝鮮人が火をつけている。井戸に毒を入れている」という類の流言飛語をなお信奉している連中のことだ。それについて彼はこう評論する。「あの風説を風説にあらず、事実なりと信ずる者もある。この信者の大部分は、あくまでその非を遂げんとする者(第一種)、保険金欲しさの者(第二種)、かく信ずることが国家のためなりと妄信する者(第三種)、であるが、稀には心底からこれを信ずるらしくいう者(第四種)もある」。
どうだろう、1923年にこういう人たちがいたようなのだが(山崎は実例も挙げている)、その輩は今も存在していないか。そして今も存在しているといえば、虐殺の存在を否定しようとする者たちだ。山崎は言う。「どうしてそれが隠蔽しおおせると考えるか。立て、座れ、ドンドン、ピリピリ、南葛で機関銃を見たものは千や二千の少数ではない。帰順した如く見せかけて帰国を許された、金・鄭・朴・李の人々も、百や二百ではあるまい。僕の処へ寄って直ぐ上海へ行った人でさえ四、五人はある。僕にはこれをその筋へ密告したり、突き出したりする大和魂はなかった。秘そう蓋をしようはまだ無智の類、馬鹿の類で、いささか恕すべき点がある。理が非でも、都合があるからどこまでも無理を通そう、悪いことなら総て朝鮮人に押し付けようとする愛国者、日本人、大和魂、武士道と来ては真に鼻持ちならない、天人共に容さざる大悪無上の話である」。
正直なところ、山崎にはいささかナショナリストのきらいがある。それは彼一流の諧謔で、危険な世論から身を守るためのポーズだという雰囲気もあるのだが、明治生まれの知識人らしく、それが本音だった部分もあるのだろう(のちに徳田球一から絶縁されたこととそれが無関係だったとは思われない)。しかし、それでも(あるいはそれだからこそ)、彼の評論は輝きを失わない。そして「どこの成り下がりか」と彼が罵倒した日本人の人でなしぶりは、関東大震災からもうじき100年になろうとする21世紀にも顕在である。

(文中、引用はすべて山崎今朝弥『地震憲兵・火事・巡査』(岩波文庫)より)。

「超過死亡」の信憑性について

だいたいの内容

  • 「超過死亡って信用できんの?」という件を考えました。
  • 新規感染数、死亡件数と比較してみました。
  • 断言はできませんが、関連はあると思います。

超過死亡のデータを検証します

「超過死亡件数を計算してみたところ、死亡件数は公表値の2-7倍」という記事を前に書きました。計算したらそうなったのですが、「それ本当?」「政府も信用できないのにお前信用できんの?」というのが正直なところではないかと思います(僕もちょっとそう思ってます)。

なので、今回は公表されてるデータも使ってちょっと検証してみたいと思います。

新規感染数と公表された死亡数の関係を見ます

新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のデータは各都道府県が中心になって公表していて、厚生労働省NHKがそれを集計しています。データは色々ありますが、今回は新規感染者数と死亡件数を見ます。データはNHKCSVファイルを提供してくれているので、それを使います(2021年2月21日閲覧)。

まず見ていただきたいのは、こちらの大阪府の新規感染者数と死亡件数のグラフです。

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大阪府の感染、死亡件数のグラフ

「何かよく似てるな」「感染者の一部が亡くなるんだから、似てて当然だよね」くらいで、正直よくわからないですよね。では、2つのグラフを重ねてみます(新規感染件数は左の目盛り、死亡件数は右の目盛りです)。

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大阪府の感染件数と死亡件数の重ね合わせグラフ

今度は分かるようになりました。死亡件数は新規感染件数よりひと月遅れて変動しています。たとえば、新規感染件数は6月から8月にかけて増えていますが、死亡件数は7月から8月にかけて増えています。また、11月から12月にかけて死亡件数が増えていますが、感染件数はそのひと月前の10月から増え始めています。
ただ、ここで4月の増加に関しては注意が必要です。4月には死亡件数が増えているのですが、新規感染数はそのひと月前ではなくて、同じ4月に増えています。これは、2月にかなりの感染数があったけれども、それを検査で知ることができなかった、ということだと考えていいでしょう。その証拠に、新規感染件数は5月に減りますが、死亡件数が減るのは6月です。

同じような現象は他の府県でも見られます。例えば、下は埼玉県のデータです。

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埼玉県の新規感染件数と死亡件数のグラフ

6月以降に注目すると、死亡件数のグラフが新規感染件数のグラフの変化をひと月遅れで追っていることがわかります。

超過死亡は1.5から2ヶ月以上遅れて出ています

では、超過死亡はどうでしょうか。下は東京都の例です。

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東京都の新規感染件数と超過死亡件数のグラフ

4月以前の超過死亡のデータを無視すると、4月の新規感染ピーク→6月の超過死亡ピーク、7-8月の新規感染ピーク→9月の超過死亡ピークというふうに、1.5~2ヶ月遅れて出ることが分かります。

同様の例は京都府のグラフでも確認できます。

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京都府の新規感染者数と超過死亡件数のグラフ

4月の新規感染ピーク→6月の超過死亡ピーク、8月の新規感染ピーク→10月の超過死亡ピーク、という関係が見られます。先程の新規感染数と公表された死亡数の場合ほどグラフの形は似ていませんが、これは「公表された死亡のほとんどは新規感染数に含まれるが、超過死亡には新規感染者にカウントされていない人がかなりいる可能性がある」という事実によって説明できるかもしれません。なので、計算できた超過死亡件数は、新型コロナウィルス感染症の流行と何らかのかかわりがある、と僕は思います。

相関までは断言できません

では、感染と超過死亡の間の関係について何が言えるのか…というと、残念ながらはっきりしたことは言えない、というのが今のところの結論になります。


その理由は、ひとつに、超過死亡と公表された死亡数の関係がはっきりしないからです。ピークがずれて出る理由が僕にはよくわかりません。超過死亡のもとになる人口推計では、死亡数は死亡届に基づいて把握されているわけですが、これは埋葬の関係上、実際の死亡日から極端に外れることはないはずです。となると、もう一つの可能性は公式統計におけるコロナ関連死の見落としですが、これに関して何かの証拠があるわけではありません。
また、公表された死亡件数と計算した超過死亡件数の間にも、安定した比例関係は見つけられません。統計的な検証に耐えられるとも思えません。

というわけで、相関関係も因果関係もわからないので、はっきりしたことが言えないというのが結論です。

ただ、では何も関連がないのかというと、新型コロナウィルス感染症と関係のない理由によって、基準値を超えた死亡が流行の後に出る、という解釈も無理があるように思いますので、そちらも言えないと思います。

関連があると解釈します

というわけで、断言はできないのですが、僕はこの計算による超過死亡が新型コロナウィルス感染症の死亡をとらえている、という仮定を置いて話を進めようと思います。ただし、これは仮説にすぎず、間違いだったと証明される可能性が常にあります。このことを念頭に置いていただけるとありがたいです。

 

データ公開します

 今回作った6都府県のデータとグラフ、グーグルドライブに置きました。

ブログ用新規感染との関連.xlsx - Google ドライブ

新型コロナ死亡件数の推計

主な内容

  • コロナでの死亡件数を推測しました。

  • 超過死亡を市町村別に計算しています。
  • これまでにやれたのは、東京都、大阪府、千葉県、埼玉県、京都府兵庫県の各市町村の分です。

  • 死亡件数は公表されている数値の約2倍~約7倍という結果になりました。

公表された死亡数と推計した超過死亡数の比較
  公表値 推計値 推計/公表比
東京都 626 927 1.48
千葉県 118 803 6.81
埼玉県 208 971 4.67
大阪府 579 1151 1.99
京都府 53 231 4.36
兵庫県 211 639 3.03
2020年3月~12月の集計。公表値はNHKのデータによる

 

以下本文です

始めてお目にかかる方、初めまして。おなじみの方、いつもありがとうございます。るまたんと申します。以下、このブログでCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)の死亡件数の推測結果を報告しますが、この記事では、まずその理由、方法、おおざっぱな計算結果を書きます。

計算してみた理由

2020年2月にCOVID-19の流行が問題になり始めたわけですが、僕はどうも政府の発表する感染者数はおかしいんじゃないか、という気がしていました(理由はまた書きます)。

それでも、最初のころは、「感染者数はおかしくても、重症者数は入院している人の数なのだから正確だろう」「苦しんでおられる方には申し訳ないけれど、その数から情報を得させてもらおう」「それでもだめなら、縁起でもないことだけど、死亡件数を調べよう」と思っていました。
でも、よく考えてみると、重症者というのは「感染がわかっていて症状が重い人」なわけです。つまり、検査が診察でコロナだとされない限りどんなに重症でも統計には入りません。

この事情は亡くなった方の場合も同じで、亡くなる前か、亡くなった後に診断された方しか「新型コロナウィルス感染症関連死」の件数としては数えられません。何らかの理由で検査の対象にならなかった方はこの統計に入らないわけです。

なので、政府・都道府県発表の数字を見ていただけではだめで、自分で計算しないとだめだ、と思いました。もちろん、統計から漏れている人が多いのかどうかは計算するまでわからないのですが、ともかく、やってみることにしました。

「超過死亡」の計算をしました

やってみると言っても、そもそも政府がやっていない死因の調査をただの素人が個人でやるのは無理です。なので、推測することにしました。具体的には、「超過死亡」の計算という方法を使いました。

これは死亡の原因を厳密に突き止められない場合に行われる方法で、インフルエンザでの死亡の推計にも使われています(こちらなどをご覧ください)。
考え方としては、「問題になっている原因=X、が存在する時期の死亡数」と「Xがない時期の死亡数」を比べて、「Xがない時」の死亡件数よりも「Xがある時」の死亡数が多ければ、「Xによる死亡が〇〇件ある」と推測します。

インフルエンザの場合、この計算にはその年のインフルエンザの流行時期(だいたい冬です)とか、インフルエンザ以外の死因の季節変動(冬はインフル以外にも心臓発作などで亡くなる人が増えます)の影響の除去とか、ややこしいことが沢山あるようなのですが、新型コロナの場合、問題はある意味で単純です。2020年以前にはこの病気はなかったと考えられるので、2019年までと2020年以降の死亡件数を比較すればよいわけです。

ちなみに、この比較、実際にはちょっとだけ複雑な手続きが必要になります。計算の結果、ほんの数件だけ多いのを「これはコロナ関連死だ」と結論するのはいくら何でも乱暴ですし、2019年以前の死亡数といっても、それは複数の年のデータを合わせた平均です。
そこで、計算としては「平均からかなり多い」というラインを設定して、この基準値を超えた分を「超過死亡数」としてコロナ関連死だとみなす、という方法をとります。偶然それだけ多かったとは考えられない、という安全な推測ができるゾーンを設定するわけです。この基準値を「95%信頼区間」と呼びます。

95%信頼区間越えの死亡件数=超過死亡=コロナ関連死、という関係です。

ちょっと実例です

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川崎市の超過死亡


見てもらった方が速いと思うので、グラフを貼りました。これは、神奈川県川崎市の2020年の超過死亡のグラフです(8月で終わっているのは、神奈川県が9月以降の死亡数を公表していないためです)。
青い棒が2020年の月ごとの死亡件数で、赤い線が基準値である「95%信頼区間」(正確にはその上限)です。黄色い線で示した2019年以前(2012-2019年の平均)の月別死亡件数からかなりのマージンを取って基準値にしていることがお分かり頂けると思います。

ここでは、4月だけ、死亡数が95%信頼区間を上回っています。この時の超過死亡件数は51件でした。これがコロナ関連死と推定されます。

計算の基準と方法

今回、僕は市区町村単位で超過死亡を計算しました。小さな自治体単位で計算したのは、どうも新型コロナの流行が都市部に集中するような傾向がある気がしたからです。
実は、超過死亡については既にプロが計算したものがいくつか公表されているのですが、どれも超過死亡はないか、少ないという結論になっています。ただ、それは都道府県単位での計算なのです。

超過死亡の計算は死亡件数の平均でおこないますので、都道府県単位で計算した場合、COVID-19があまり流行していない農山村の数字に都市部のものが埋もれてしまい、それで検出しにくくなるのではないか、という心配を僕は持っていました。なので、ここでは市区町村単位で計算をしています。

結果としておこったのは、計算の実務が死ぬほど大変になるという事態です。たとえば、神奈川県には市町村が33あるのですが、一年分だと33×12=396個の数値を処理しなくてはなりません。「平年分」として2012年から2019年までの平均も必要ですが(2012年からにしたのは東日本大震災の影響を避けるためです)、そうなるとセルの数は3000を越えます。

とうてい人力でどうにかなる規模ではありませんので、スクリプトを組んで計算しました。pythonを使っています。ソースはgithubで公開しました(実は、都道府県ごとにデータの形式が違うので、スクリプトを書くのも僕には大変でした。ていうか、大半の都道府県はまだ計算できていません。githubのReadmeに書いたので、興味のある方はそちらを…)。

あと、ちょっと昔習った統計の話を思い出すと、死亡は色々な原因で起こるので、本来は多変量解析が必要なはずです。ただ、ここではそれはやっていません。その理由の一つは、使えるデータが死亡数しかないことです。なので非常に単純に、標準偏差から95%信頼区間を計算して、それを超える分を超過死亡とみなす、という方法を取っています。

だいたいの結果

手短に結果をまとめます。表をご覧ください。各都道府県の試算結果は市町村ごとの超過死亡を単純に合計したものです。公表値はNHKの集計によっています。

2020年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 合計
東京都公表値 15 104 185 20 7 31 45 47 34 138 626
東京都試算 52 166 1 88 17 95 201 17 110 183 930
                       
2020年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 合計
千葉県公表値 1 31 13 0 4 13 9 9 7 31 118
千葉県試算 74 203 1 79 8 80 68 39 41 211 804
                       
2020年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 合計
埼玉県公表値 2 32 14 17 9 15 13 5 34 67 208
埼玉県試算 101 93 0 12 0 0 6 14 85 104 415
                       
2020年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 合計
大阪府公表値 2 39 42 3 4 62 54 36 78 259 579
大阪府試算 32 401 6 103 9 40 177 32 58 279 1137
                       
2020年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 合計
京都府公表値 0 10 7 1 2 3 2 5 9 14 53
京都府試算 12 8 0 116 10 11 15 29 1 30 232
                       
2020年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 合計
兵庫県公表値 11 16 15 3 0 8 6 4 18 130 211
兵庫県試算 34 94 13 92 68 15 145 34 12 130 637


ご覧の通り、公表されている死亡件数と超過死亡計算の結果とはかなりの違いがあります。様々な事情によって死亡件数の公表が遅れがち、という事情はあるようなのですが、それにしてもかなり違います。なぜそうなるのかについては別に考えたいのですが、結論としては、やはり国や都道府県が出している件数にはおかしなところがあるのではないか、と思います。

ちなみに、最も開きがあるのは千葉県で、2020年全体では6.81倍、もっとも開きがないのは東京都で1.48倍となっています。報道などから見ると少し意外な感じですが、東京や大阪のほうが体制がしっかりしているのかもしれません。

数字からもうひとつわかることは、乖離の大半が2020年の前半に生じていることです。特に流行が注目されるようになった3月、4月に死亡件数の報告と超過死亡の差が目立ちます。このことも、問題が行政の体制と関係しているのではないか、という推測を補強します。

死亡件数は感染件数と比例するはずなので、感染数も公表数よりかなり多いと考えていいのではないかと思います。

いくつかヤバい点があります

ここまで読んでいただいておいにアレですが、僕の計算の結果には重大な誤りが入り込んでいる可能性があります。その点にご注意ください。

まず、著者は人口学や公衆衛生の専門家ではありません(専門としているのは社会学です)。ですので、人口統計の扱いについて、何か決定的な誤りを犯している可能性があります。お気づきの点がありましたら、お教えいただけると助かります。

集計の対象が多年にわたっているため、本来であれば数値には補正を加えなくてはいけないはずです(たとえば、日本は高齢化が進んでいるため、年々死亡が増える傾向にあるはずです)。しかし、この計算では数値に補正を加えていません。どう補正していいかわからなかったためです。そうしたことから誤りが生じている可能性があります。こちらもご指摘いただけると助かります。

社会学で統計を習ったものとしては、「95%信頼区間」を値の大きさの基準として使う、という方法に抵抗があるのも事実です。我々の常識では、95%超えは有意差を示すもので、「超えた分が有意である」という話ではないはずです。しかし、超過死亡の計算においてはそれが常識になっているようですので、大きすぎる議論はせずに、それに従っています。

また、この計算は「新型コロナ感染症以外に死亡件数を増減させる要因がない」という大胆な前提に基づいています。もちろん、現実にはそういうことはありません。たとえば、営業自粛要請やリモートワークの増加などによって自殺数が増えているということが報道されていますが、この計算にはその要素は含まれていません。当然、超過死亡のなかには自殺による増加分が含まれるはずです。
マスク着用と手洗いの励行によって例年になくインフルエンザが少ない、ということも報告されています。今年の前半には、交通量の減少のために交通事故も少なかったようです。これらは死亡件数を引き下げる効果を持つはずですが、やはり計算には入っていません。

以上の点をご理解の上、この記事、および今後予定しているシリーズをお読みいただけると幸いです。

 

営業です

この記事の作成は筆者の職業ではないのですが、去年の6月以来、このテーマに大きな時間と労力を割いてきました。よろしければ投げ銭を頂けると幸いです。 

 

「請求権協定で全て解決」してません。

1.ごめん、めっさ長いです

徴用工問題と日韓請求権協定の話を書きました。そした、めっさ長くなった…。ごめんなさい。時間のある時に読んでください。ただ、これで問題の大半はカバーしたかと思います。損はさせないので、お付き合いいただけると嬉しいです。


2.いえいえ、解決してません

「請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決したこことなることを確認する」という、インパクトのある言葉が含まれることで有名な、日韓請求権協定。「ほらごらん、これで解決してるじゃないか。韓国はおかしい」とか「いやいや、それは政府の間の話であって、個人が請求する権利はある」とか、いろいろな話が飛び交います。
これに対して、去年(2018年)の韓国大法院(最高裁)の判決は「日韓請求権協定は今回の徴用被害者の損害賠償請求とは関係がない」と断言していまして、文在寅政権もその決定に従っています。いろいろなことを見聞きして、僕もその意見に賛成しています。しかし、いきなり「関係ない」とかいわれても、一体どうしたら…ということはあると思います。そこらへん、ちょっと説明します。


3.請求権協定って何?

ご存知のように、1945年の9月以降、日本はアメリカを中心とする連合国に占領され、独立国ではありませんでした。これはもちろん、太平洋戦争を仕掛け、それに負けたためです。そこで、この戦争を終わらせるために、1951年にサンフラシスコ講和条約が結ばれます。
この条約には日本が「戦争中に生じさせた損害及び苦痛」に対する賠償を行うことが規定されている(第14条)のですが、ここで問題になるのは韓国のように、日本に占領されていたけれども、日本と戦争していたのではない国があることです。こうした国は講和条約に参加することがそもそも難しいと考えられ、そしてその時は朝鮮戦争のさなかでもあったことから、実際に韓国は参加していません(それでよかったのかどうかについては議論があります)。
ではそういう元植民地についてはノーケアなのかというとそうではなくて、「そういう場合は別途、2国間で協議して決めてくださいね」という規定が第4条にあり、これに基づいて日本と韓国の間で1951年から交渉が始まりました。その後、なんと14年もの歳月を要してまとめられたのが、1965年の日韓基本条約と日韓請求権協定です。


4.請求権は賠償ではなかった

こういうふうに見てくると、請求権協定というのは日本が韓国に与えた損害を賠償するものなのかな、と誰でも思います。実際、交渉の当初韓国政府はそう考えていましたし、韓国や日本の国民にもそう考えた人は少なくありません。しかし、実際には話はそうではありませんでした。
実は、日本政府は「戦争には負けたし、その件は悪かったが、韓国(大韓帝国)や台湾を植民地にしたのは当時としては合法だったし、何も悪いことではなかった」と考えていたのです。最近の研究で、講和条約の交渉をしていた1949年に、日本政府の関係者がアメリカ政府にこういう意見を伝えていたことが明らかになっています。そのため、日本政府は日韓請求権協定でも、賠償の問題に触れるつもりはありませんでした。
じゃあ、ここでいう請求権とはいったい何のことか、ということになるのですが、これは支払われるべき給料とか代金、引き出されるべき預金等々の「債権」にかかわるもの、ということになります。1945年の解放(日本から見れば敗戦)以降、日本の政府機関はもちろん、銀行や企業なのどの多くが朝鮮から引き揚げましたから、こういう問題は当然ありました。また、日本側から見れば、朝鮮に所有していた土地や建物、おいていた機械などの所有権も問題になります。日本政府はこういう問題についてしか協議するつもりがなかった、というのが日韓請求権協定の根本的な問題なのです。


5.賠償請求もあったのですが…

ところで、植民地支配による被害というのは具体的には何を意味するのでしょうか。実は、日韓の交渉の過程で韓国政府がそれを示したことがあります。これが有名な対日請求要綱(8ヶ条)というもので、1952年に示されています。かいつまんで紹介すると、内容はこんなものでした。
1.朝鮮銀行にあったものが日本に搬出された金準備と銀準備(兌換貨幣の裏付けとなる金塊と銀塊)
2.解放当時の日本政府の債務
3.解放以降に韓国から日本に送金されたお金
4.解放当時に韓国に本社や本店があった日本企業の財産
5.未払いの配当や賃金
7.これらの利子
(6と8は直接お金に関係がないことなので除きます)
のちに、美術品の返還の問題がこれに加わりましたが、大体このあたりが韓国政府が考えていた賠償でした。1961年に韓国政府が示した試算では、その金額は12億2千万ドルにのぼります。


6.日本政府は賠償を拒否しました

こうした要求を受けて、日本政府が行った対応策が有名な久保田発言でした。これは、交渉の場での「日本は植民地支配をしてよいこともした」という意味の久保田日本政府による発言で、激怒した韓国側が交渉から引き揚げ、その後、1953年から5年間にわたって条約の交渉が止まることになります。これは日本政府高官による「妄言」の一つとして知られていますが、最近の研究では、交渉の長期中断をねらった計画的な発言であったことがわかってきています。その目的は主に「中断中に李承晩政権がたおれ、もっと交渉しやすい相手が出てくるのを待つこと」「日本が賠償に応じる気がないことを明確に示すこと」の二つだったようです。


7.請求権協定と「独立祝い金」

結局、日韓交渉は1957年に再開され、クーデターの後に、朴正煕政権との間で交渉が進められることになります。その結果、1965年に日韓基本条約とともに日韓請求権協定が結ばれることになりました。しかし、請求権協定では、賠償の問題は明確にされませんでした。そのため、日本が韓国のために支出した5億ドルについては、協定に明記されたものの、どのような性質のお金であるのかについては一切触れられていません。
これは、日本政府がそもそも賠償の責任があると認めなかったためで、日本国内向けには「独立祝い金のようなもの」であるという説明がされました。韓国政府(朴正煕政権)も、サンフランシスコ講和条約第4条の枠組みでは、損害賠償の請求は無理であるという説明を国会に対してしています(にもかかわらず、これだけの金額を勝ち取った、というアピールです)。ただし、対日請求8ヶ条については、この協定で満たされたものとする、という了解が交渉過程で両国政府によってされています。

8.5億ドルとか8億ドルとかってどういうこと?

日韓請求権協定によって、日本政府は韓国政府に無償援助3億ドル分、政府による借款2億ドル分を提供することになりました。ほかに民間による借款が3億ドル提供され、合計で8億ドルになります。
ところで、借款というのは要するに貸付金のことです。これには利子があり、もちろん元金も含めて返さなくてはならないお金でした(韓国政府は後にちゃんと返済しています)。
また3億ドルは無償でしたが、これはお金ではなく現物による提供で、日本政府が契約した企業が物やサービスを韓国側に提供する形になります。その代表例が今POSCOになっている浦項の製鉄所で、日本の企業が建てて提供しました。製鉄所ができたのでいいようなものなのですが、よく考えるとお金の方は日本政府から日本企業に支払われただけで、韓国には一円もわたっていません。
別に物で上げてはいけないわけではないのですが、よく言われる「日本は韓国に賠償金を支払った」というのは厳密にいうと事実ではありません。また、このプロセスで日本企業がちゃっかり利益を上げていることにも注目すべきでしょう。

9.「漢江の奇跡」は日本が作った?

請求権協定の5億ドルの話が出てくると、韓国の経済急成長は日本が作った、韓国は感謝すべきだ、と言い出す人が必ずいます。上に書いた通り、実は日本は返さなくていいお金を一円も払っていないのですが、それはともかく朴正煕時代の経済成長の主な財源は日本ではありません。
実はこのころ、韓国政府はアメリカ政府からの援助を引き出すことに成功していました。そのお金は、直接の支援と投資併せておよそ27億ドルに上ると言われています。5億ドルはもちろん小さなお金ではありませんが、日本が資金の多くをまかなったように言うのは間違いです。
また、お金はともかく、実際に経済を支えたのは工場や会社や農場で、そして時には海外に出稼ぎもして、厳しい労働条件のなかで懸命に働いていた韓国人の男女であったことも忘れられてはならないと思います(この時代の働く人の苦労が、のちの民主化闘争につながっていったことはよく知られています)。

10.韓国政府による補償

日韓請求権協定は、韓国では国民の大反対の中で締結されました。朴正煕政権はこの反対運動を弾圧したのですが、それだけではなくて、徴用の被害者に対する補償も行いました。ただし、これは金額が比較的少なく、また、日本軍に使役された人だけが対象でした。2006年には犠牲者支援法が作られ、未払い賃金の相当額や一律の補償金などが支給されました。とはいえ、これは日本から提供された資金によって行われたものではなく、日本政府の意向によるものでもないので、賠償とは言えません。

11.大法院判決の言い方

長くなってしまいました。まとめます。2018年10月の韓国大法院判決は、
1.日本政府は植民地支配による損害の賠償をしていない、
2.裁判を起こした犠牲者が求めているのは未払い賃金ではなく精神的被害の賠償である、
という2点によって、この件は請求権協定と関係がなく、したがって無効になってもいない、という判断を下しました。僕はこの判断が妥当なものだと思います。皆さんはどうお感じなるでしょうか?


12.正しい未来へ

この問題は、丁寧にたどっていくと、結局、日本政府が植民地支配の責任をどう認めるかという所に行きつきます。実は、日本軍「慰安婦」の問題も同じ構造を持っているのですが、日韓両政府、両国はこの植民地支配の責任を認めるか、認めないかという問題めぐって、それこそ1950年代からずっとやり合っていると言っても言い過ぎではありません。
実は、世界のなかで、他国を植民地支配したことを「悪い」と認めて賠償に応じた、という国はこれまでありません。だから、日本政府も強気で突っぱねているのですが、僕は、これは「みんなもやっているじゃないか!」という子どものような言訳に思えてなりません。既に国際的な会議でも幾度も問題になっているのですが、悪いことは悪いと認めて、なすべきことをするほかに先に進んでいく方法はないように思います。もちろん、日本は依然に比べると相対的に随分貧しくなっていますから、大きな金額の賠償に応じるのは難しいかもしれないのですが、そこは日本国憲法の前文にあるように「諸国民の公正と信義に信頼」するほかありません。
現在、韓国では国際法の専門家を中心に「サンフランシスコ講和条約体制と日韓基本条約の見直し」(そこには日韓請求権協定の問題も含まれます)という議論が起こっていると聞いていますが、最終的にはこうしたことも視野に入って来るだろうと思います。日韓基本条約にも、併合条約の合法性をめぐって日韓の解釈の対立があり、いつまでも先送りにすることはできません。再交渉は行われるべきだと思います。
いずれにしても、現状ではあきらかに日本と韓国の間に条約の解釈をめぐる対立があり、そしてこの対立は「植民地支配の責任を認めるかどうか」という点、正義という面で、韓国側に有利な点が多くあります。僕は日本に縁が深い立場ですが、やはり、いつまでも正しさということを無視はできないだろう、と思っています。長くなりました。以上です。


参考文献

請求権の性質、日韓交渉の過程、植民地支配についての日本政府の考え、久保田発言等について
 太田修『日韓交渉:請求権問題の研究』クレイン
 吉澤文寿編『五○年目」の日韓つながり直し:日韓請求権協定から考える』社会評論社
韓国の経済成長とアメリカの援助等について
 文京洙『韓国現代史』岩波書店
植民地支配責任について
 水原陽子編『「植民地責任」論』青木書店
 吉澤前掲書

韓国大法院判決
 仮訳 http://justice.skr.jp/koreajudgements/12-5.pdf

「シン・ゴジラ」の感想の感想

僕は「シン・ゴジラ」を見ていない。最初のころにミリタリーオタクさんやSFファンさんの感想が出始めた時点で、「あ、これは組織ポルノ」「日本社会ポルノ」(「ウォー・ポルノ」というような意味で)だな、と思ったので、自分の中のそのような欲望が刺激されることを恐れたからだ( 僕はかつてミリオタでSFファンだったので、そのへんについては慎重でありたい)。 なので、これは映画の、ではなくて、映画の批評に対する感想だ。そういうものは卑怯でダメかもしれない。そう思う人は、読まれないといいと思う。

さて、そのうえで。

この評論(『シン・ゴジラ』、戦後補完計画)http://d.hatena.ne.jp/naishinokami/20160731/1469985119 を読んで、良い評論だな、と思った。 しかし、同時に思ったのはここに描かれている「シン・ゴジラ」は『半島を出よ』と似ている、ということである。
『半島を出よ』は2005年に村上龍が発表した、2010年の日本を舞台にした小説だ。そこでは「北朝鮮」が攻めてくる(むろん、これは現実の朝鮮民主主義人民共和国ではなく、村上龍が想像し、かつ彼が持つ「占領軍」と「共産主義」のイメージを込めて創作した対象である。なので、ここでは彼の用語をそのまま使って「北朝鮮」と書く)。作中の日本政府は全くの無能で、右往左往したあげくに九州の一部を占領されてしまう。

北朝鮮」が露骨な暴力性に基づいて占領地を支配する(しかし、それはある種の正義でもある)のに対抗し、結果的にそれを排除するのは政府ではなく、社会からはみ出したアウトローたちだ。その結果、侵略者は排除され、日本はよりよい社会に生まれ変わる。 言うまでもなく、『半島を出よ』を評価するのは難しい。なぜなら、そこには「『北朝鮮』は暴力的な侵略者で敵だ」という、分かり易すぎる右翼的なメッセージが含まれているからだ。だが、それを取り除いてしまうと、先ほどの映画評がまとめている「シン・ゴジラ」観との間にはそれほどの差はない。 凶暴な敵と、それに対処できない政府、そして問題を解決する日本の底力、そういう構図だ。
そこで浮かんでくるのは、「シン・ゴジラ」における(製作者の意図という意味ではなく、受け止められ方を含んだ大きな文脈において)「ゴジラ放射能・原爆」というのは、「ネタ」なのではないか、という疑問である。つまるところ、そこにあるのは「まともな国家が欲しい」という願望なのではないか。

それで何が悪いのか?日本はまともな国家ではないではないか。うむ、その通りだ。だが、我々は、たとえば、アメリカ民主党大会の中継を見て感動するのではないか。 あれは確かに素晴らしい。マイノリティが尊重され、機会の平等が言われる。失敗した人にも尊敬とサポートが送られる。 だが、その民主党政権は沖縄から一向に撤退しようとせず、イラクとアフガンの状況を改善するのに失敗し、アメリカ国内の格差の是正にすら失敗しているのではないか。

むろん、だから民主党はダメだと言っているのではない(共和党やトランプに比べれば何百倍もマシだ)。だが、だからと言って、 「アメリカ」の暴力性が消えるわけではない。つまるところ、国家というのはすべからく暴力的で一方的なのだ。 ならば、そんなものは否定されるべきか、といえば、そういうことでもないだろう。誰もやってみた人はいないが、国家なしでの近代社会というのは、かなり難しいのではないかと思う。 とはいえ、「良い国家であればすべては解決する」かというと、そうでもないだろう。一方的で暴力的なものが矛盾をはらまないはずはない。

このような矛盾の中に僕は存在せざるを得ない。許されるのは、せいぜい、一方において統治の暴力に加担しつつ、他方においてその被害を何とか小さくしようとする、という程度のことだ。このとき、何か魔法のような解決策を求めることには、僕は違和感がある。

東海テレビの「戦争を、考えつづける。」は問題がある

東海テレビの公共キャンペーンスポット「戦争を、考えつづける。」がウェブで公開されていたので見た(https://www.youtube.com/watch?v=DD8qAaZlGEY&feature=youtu.be)。非常に問題のある部分が含まれていると思う。

問題だと思ったのは、公開されているものでは2分33秒くらいから3分12秒くらいまでの、在特会兵庫支部の街宣とそれへのカウンターについて取り上げた部分だ(およそ40秒の長さのこの部分は、冒頭と最後に挿入されているクレジットからして独立したスポット番組として放送された可能性もある。そこで、以下ではこの部分を「番組」と呼ぶ)。

この番組は、人種差別街宣とそれへのカウンターを「憎しみのぶつけ合い」と表現する。しかも、その主張のバックに、偏見や差別を阻止しようというカウンター側のメッセージを使っている。もし、そこで行われていることが何であるかを多少なりとも知ろうとしたとすれば、あれらのメッセージが「憎しみをぶつける」ようなことではないことは理解できるはずだ。

この番組の制作過程では、差別者の行動を相当詳しく取材しているようだ。かなり近くからのショットがあるし、レポーター(ないしはその役を務める出演者)が街宣を終えた差別者の至近距離に寄っていくシーンもある。彼らの主張が耳に入らなかったはずはない。東海テレビは、その主張に問題があると思わなかったのだろうか?それを聞いてなお、彼らが唾棄すべき反社会的存在ではなく正当な主張をする市民だと思ったというのなら、その倫理観には相当な歪みがある。

もちろん報道は時として醜悪なものをも映し出さねばならない。差別者の存在を避けて通れないこともあるだろう。だが、あのエピソードを扱って「報道番組」として成立させようとしたというのなら、あのような激しい路上での対立(人と人が相対しているのだから対立には違いない)を「取材」しなかったのか。「なぜそのように激しくなるのですか?」とあなた方は聞いたか。それを嘆くというのなら、そうでなくする方法を真剣に考えたのか。そうした模索や葛藤が番組に一切反映されないのはなぜか。

つまるところ、あなた方には真剣にヘイトスピーチ問題を取り上げる気などなかったのではないのか。単純に、わかりやすい、しかも安全に取材できる「争いの絵」として、差別街宣とカウンターの現場を使いたかっただけではないのか。

それが悪いのか、とあなた方は言うかもしれない。我々は「現実」を切り取って見せているのだ。判断するのは視聴者だ、と。

ならば、お教えしておこう。あなた方が何気なく「背景」として使った人々の中には、自分自身と、血縁者に対する侮辱に耐えかねてカウンターに立っている人がいる。小学生への危害への怒りをエネルギーに変えて、慣れぬ路上に立っている人がいる。週6日間働いて、わずか一日だけの休日をカウンターにあてている人がいる。カウンターのあと、心に受けた傷のために嘔吐してしまう人がいる。何十年も続いた闘いのあと、休息を拒否して差別との戦いを続けている人がいる。幾度も官憲の介入を受け、処罰を受けてもなお闘いを止めない人がいる。その人々を、その思いを、あなた方はまったく知ろうともせず、受け止めることもなく、ただ「憎しみ」と呼び、あまつさえその最悪の敵と同一視したのだ。

あやまちは誰もある。それを正す機会を奪うつもりもない。僕が絶対正しいわけでもない。だが、東海テレビよ、あなた方がなにをしたのか、もう一度じっくり考えてほしい。そして、あなたたちにしかできない反省と、前進をしてほしい。