「請求権協定で全て解決」してません。

1.ごめん、めっさ長いです

徴用工問題と日韓請求権協定の話を書きました。そした、めっさ長くなった…。ごめんなさい。時間のある時に読んでください。ただ、これで問題の大半はカバーしたかと思います。損はさせないので、お付き合いいただけると嬉しいです。


2.いえいえ、解決してません

「請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決したこことなることを確認する」という、インパクトのある言葉が含まれることで有名な、日韓請求権協定。「ほらごらん、これで解決してるじゃないか。韓国はおかしい」とか「いやいや、それは政府の間の話であって、個人が請求する権利はある」とか、いろいろな話が飛び交います。
これに対して、去年(2018年)の韓国大法院(最高裁)の判決は「日韓請求権協定は今回の徴用被害者の損害賠償請求とは関係がない」と断言していまして、文在寅政権もその決定に従っています。いろいろなことを見聞きして、僕もその意見に賛成しています。しかし、いきなり「関係ない」とかいわれても、一体どうしたら…ということはあると思います。そこらへん、ちょっと説明します。


3.請求権協定って何?

ご存知のように、1945年の9月以降、日本はアメリカを中心とする連合国に占領され、独立国ではありませんでした。これはもちろん、太平洋戦争を仕掛け、それに負けたためです。そこで、この戦争を終わらせるために、1951年にサンフラシスコ講和条約が結ばれます。
この条約には日本が「戦争中に生じさせた損害及び苦痛」に対する賠償を行うことが規定されている(第14条)のですが、ここで問題になるのは韓国のように、日本に占領されていたけれども、日本と戦争していたのではない国があることです。こうした国は講和条約に参加することがそもそも難しいと考えられ、そしてその時は朝鮮戦争のさなかでもあったことから、実際に韓国は参加していません(それでよかったのかどうかについては議論があります)。
ではそういう元植民地についてはノーケアなのかというとそうではなくて、「そういう場合は別途、2国間で協議して決めてくださいね」という規定が第4条にあり、これに基づいて日本と韓国の間で1951年から交渉が始まりました。その後、なんと14年もの歳月を要してまとめられたのが、1965年の日韓基本条約と日韓請求権協定です。


4.請求権は賠償ではなかった

こういうふうに見てくると、請求権協定というのは日本が韓国に与えた損害を賠償するものなのかな、と誰でも思います。実際、交渉の当初韓国政府はそう考えていましたし、韓国や日本の国民にもそう考えた人は少なくありません。しかし、実際には話はそうではありませんでした。
実は、日本政府は「戦争には負けたし、その件は悪かったが、韓国(大韓帝国)や台湾を植民地にしたのは当時としては合法だったし、何も悪いことではなかった」と考えていたのです。最近の研究で、講和条約の交渉をしていた1949年に、日本政府の関係者がアメリカ政府にこういう意見を伝えていたことが明らかになっています。そのため、日本政府は日韓請求権協定でも、賠償の問題に触れるつもりはありませんでした。
じゃあ、ここでいう請求権とはいったい何のことか、ということになるのですが、これは支払われるべき給料とか代金、引き出されるべき預金等々の「債権」にかかわるもの、ということになります。1945年の解放(日本から見れば敗戦)以降、日本の政府機関はもちろん、銀行や企業なのどの多くが朝鮮から引き揚げましたから、こういう問題は当然ありました。また、日本側から見れば、朝鮮に所有していた土地や建物、おいていた機械などの所有権も問題になります。日本政府はこういう問題についてしか協議するつもりがなかった、というのが日韓請求権協定の根本的な問題なのです。


5.賠償請求もあったのですが…

ところで、植民地支配による被害というのは具体的には何を意味するのでしょうか。実は、日韓の交渉の過程で韓国政府がそれを示したことがあります。これが有名な対日請求要綱(8ヶ条)というもので、1952年に示されています。かいつまんで紹介すると、内容はこんなものでした。
1.朝鮮銀行にあったものが日本に搬出された金準備と銀準備(兌換貨幣の裏付けとなる金塊と銀塊)
2.解放当時の日本政府の債務
3.解放以降に韓国から日本に送金されたお金
4.解放当時に韓国に本社や本店があった日本企業の財産
5.未払いの配当や賃金
7.これらの利子
(6と8は直接お金に関係がないことなので除きます)
のちに、美術品の返還の問題がこれに加わりましたが、大体このあたりが韓国政府が考えていた賠償でした。1961年に韓国政府が示した試算では、その金額は12億2千万ドルにのぼります。


6.日本政府は賠償を拒否しました

こうした要求を受けて、日本政府が行った対応策が有名な久保田発言でした。これは、交渉の場での「日本は植民地支配をしてよいこともした」という意味の久保田日本政府による発言で、激怒した韓国側が交渉から引き揚げ、その後、1953年から5年間にわたって条約の交渉が止まることになります。これは日本政府高官による「妄言」の一つとして知られていますが、最近の研究では、交渉の長期中断をねらった計画的な発言であったことがわかってきています。その目的は主に「中断中に李承晩政権がたおれ、もっと交渉しやすい相手が出てくるのを待つこと」「日本が賠償に応じる気がないことを明確に示すこと」の二つだったようです。


7.請求権協定と「独立祝い金」

結局、日韓交渉は1957年に再開され、クーデターの後に、朴正煕政権との間で交渉が進められることになります。その結果、1965年に日韓基本条約とともに日韓請求権協定が結ばれることになりました。しかし、請求権協定では、賠償の問題は明確にされませんでした。そのため、日本が韓国のために支出した5億ドルについては、協定に明記されたものの、どのような性質のお金であるのかについては一切触れられていません。
これは、日本政府がそもそも賠償の責任があると認めなかったためで、日本国内向けには「独立祝い金のようなもの」であるという説明がされました。韓国政府(朴正煕政権)も、サンフランシスコ講和条約第4条の枠組みでは、損害賠償の請求は無理であるという説明を国会に対してしています(にもかかわらず、これだけの金額を勝ち取った、というアピールです)。ただし、対日請求8ヶ条については、この協定で満たされたものとする、という了解が交渉過程で両国政府によってされています。

8.5億ドルとか8億ドルとかってどういうこと?

日韓請求権協定によって、日本政府は韓国政府に無償援助3億ドル分、政府による借款2億ドル分を提供することになりました。ほかに民間による借款が3億ドル提供され、合計で8億ドルになります。
ところで、借款というのは要するに貸付金のことです。これには利子があり、もちろん元金も含めて返さなくてはならないお金でした(韓国政府は後にちゃんと返済しています)。
また3億ドルは無償でしたが、これはお金ではなく現物による提供で、日本政府が契約した企業が物やサービスを韓国側に提供する形になります。その代表例が今POSCOになっている浦項の製鉄所で、日本の企業が建てて提供しました。製鉄所ができたのでいいようなものなのですが、よく考えるとお金の方は日本政府から日本企業に支払われただけで、韓国には一円もわたっていません。
別に物で上げてはいけないわけではないのですが、よく言われる「日本は韓国に賠償金を支払った」というのは厳密にいうと事実ではありません。また、このプロセスで日本企業がちゃっかり利益を上げていることにも注目すべきでしょう。

9.「漢江の奇跡」は日本が作った?

請求権協定の5億ドルの話が出てくると、韓国の経済急成長は日本が作った、韓国は感謝すべきだ、と言い出す人が必ずいます。上に書いた通り、実は日本は返さなくていいお金を一円も払っていないのですが、それはともかく朴正煕時代の経済成長の主な財源は日本ではありません。
実はこのころ、韓国政府はアメリカ政府からの援助を引き出すことに成功していました。そのお金は、直接の支援と投資併せておよそ27億ドルに上ると言われています。5億ドルはもちろん小さなお金ではありませんが、日本が資金の多くをまかなったように言うのは間違いです。
また、お金はともかく、実際に経済を支えたのは工場や会社や農場で、そして時には海外に出稼ぎもして、厳しい労働条件のなかで懸命に働いていた韓国人の男女であったことも忘れられてはならないと思います(この時代の働く人の苦労が、のちの民主化闘争につながっていったことはよく知られています)。

10.韓国政府による補償

日韓請求権協定は、韓国では国民の大反対の中で締結されました。朴正煕政権はこの反対運動を弾圧したのですが、それだけではなくて、徴用の被害者に対する補償も行いました。ただし、これは金額が比較的少なく、また、日本軍に使役された人だけが対象でした。2006年には犠牲者支援法が作られ、未払い賃金の相当額や一律の補償金などが支給されました。とはいえ、これは日本から提供された資金によって行われたものではなく、日本政府の意向によるものでもないので、賠償とは言えません。

11.大法院判決の言い方

長くなってしまいました。まとめます。2018年10月の韓国大法院判決は、
1.日本政府は植民地支配による損害の賠償をしていない、
2.裁判を起こした犠牲者が求めているのは未払い賃金ではなく精神的被害の賠償である、
という2点によって、この件は請求権協定と関係がなく、したがって無効になってもいない、という判断を下しました。僕はこの判断が妥当なものだと思います。皆さんはどうお感じなるでしょうか?


12.正しい未来へ

この問題は、丁寧にたどっていくと、結局、日本政府が植民地支配の責任をどう認めるかという所に行きつきます。実は、日本軍「慰安婦」の問題も同じ構造を持っているのですが、日韓両政府、両国はこの植民地支配の責任を認めるか、認めないかという問題めぐって、それこそ1950年代からずっとやり合っていると言っても言い過ぎではありません。
実は、世界のなかで、他国を植民地支配したことを「悪い」と認めて賠償に応じた、という国はこれまでありません。だから、日本政府も強気で突っぱねているのですが、僕は、これは「みんなもやっているじゃないか!」という子どものような言訳に思えてなりません。既に国際的な会議でも幾度も問題になっているのですが、悪いことは悪いと認めて、なすべきことをするほかに先に進んでいく方法はないように思います。もちろん、日本は依然に比べると相対的に随分貧しくなっていますから、大きな金額の賠償に応じるのは難しいかもしれないのですが、そこは日本国憲法の前文にあるように「諸国民の公正と信義に信頼」するほかありません。
現在、韓国では国際法の専門家を中心に「サンフランシスコ講和条約体制と日韓基本条約の見直し」(そこには日韓請求権協定の問題も含まれます)という議論が起こっていると聞いていますが、最終的にはこうしたことも視野に入って来るだろうと思います。日韓基本条約にも、併合条約の合法性をめぐって日韓の解釈の対立があり、いつまでも先送りにすることはできません。再交渉は行われるべきだと思います。
いずれにしても、現状ではあきらかに日本と韓国の間に条約の解釈をめぐる対立があり、そしてこの対立は「植民地支配の責任を認めるかどうか」という点、正義という面で、韓国側に有利な点が多くあります。僕は日本に縁が深い立場ですが、やはり、いつまでも正しさということを無視はできないだろう、と思っています。長くなりました。以上です。


参考文献

請求権の性質、日韓交渉の過程、植民地支配についての日本政府の考え、久保田発言等について
 太田修『日韓交渉:請求権問題の研究』クレイン
 吉澤文寿編『五○年目」の日韓つながり直し:日韓請求権協定から考える』社会評論社
韓国の経済成長とアメリカの援助等について
 文京洙『韓国現代史』岩波書店
植民地支配責任について
 水原陽子編『「植民地責任」論』青木書店
 吉澤前掲書

韓国大法院判決
 仮訳 http://justice.skr.jp/koreajudgements/12-5.pdf