ハアレツ紙のひとつの側面

そろそろ本当にパレスチナ側の資料を集めようと思いつつ。

検索していると、ガザで取材をしている唯一のイスラエル人記者という人がいる。その人、アミラ・ハス記者はもちろんイスラエル軍・政府に対して批判的で、そういう趣旨の記事をいっぱい書いている。

たとえば、こんな感じだ。

いま流行の洗練された言語表現が捻出される以前から、私の両親は「ガラリヤにおける平和のための戦争」とか「公共の秩序を乱すもの」といった表現に吐き気を感じていた。「公共の秩序」なるものが「占領」を意味し、「乱すもの」とは「それへの抵抗」だったのだから。秩序というのは、ユダヤ人がその権利を主張するものをパレスチナ人がもつことを妨害することなのだ。エフード・バラクとツィピ・リヴニが、自分たちはパレスチナ人にはまったく敵対していないと説明するのを聞かなくて、イスラエル政府の閣僚事務官が、人道上の危機はまったくない、それはハマスプロパガンダにすぎない、と説明するのを耳にせずにすんで、両親はなんと幸運だったか。嘘であると認識するため、水道が5日以上も止まっている人々の名前を知る必要もない。爆撃のことなんか忘れろ、電気のことも、食物のことも、眠ることだって、忘れろ。でも水がないのは? 海から、陸から、空から爆撃されて、人々は市営の水道蛇口まで飲料水をくみにいくことさえできずにいる。かりにだれかが屋内で流水を手に入れても、それは飲むことはできない。

「アミラ・ハス──私の両親は生きてこれを見ずにすんで幸運だ」
http://esperanzasroom.blogspot.com/2009/01/blog-post_07.html

パレスチナ人たちがいうには、イスラエル兵は戦車のなかに残っていて、最後の最後に、ガザの住居に乗り込んでくる。「兵士たちはわざわざ戦車から出て、われわれの家に入ってくることはありません──先に犬を送り込んでから、その地域を一掃するんです」とガザ北部の家から強制退去させられたパレスチナ人たちはいう。

Mによれば、兵士が入っていっても、女性と、子どもたちと、高齢者しかいないという。50歳以下の男たちは全員、拡声機で、学校へ集まるよういわれたからだ。

「国連が避難場所として開設した学校へ行ったり、モスクに身を隠すのを、みんなものすごく恐がっています。イスラエル軍がそこも爆撃するからです」とMは言い足した。

http://esperanzasroom.blogspot.com/2009/01/blog-post_4666.html

で、この記事が掲載されている新聞が、ハアレツなのだ。僕らがエルサレム賞の後援者として知っている新聞、イスラエルの有力紙、その編集長が選考委員の一人である新聞だ。

こういうのを見ていると、ちょっと混乱してくる。イスラエル人は大半が政府の行動を支持しているはずで、一枚岩となってパレスチナを押し潰そうとし、ヨーロッパに対しては受難者として、アラブに対しては迫害者として振る舞う人たちのはずだ。でも、そうでない人もいる。

もちろん、たとえばハアレツの編集長について検索するとシオニズム云々が出てきてゲッとなるし、イスラエル人でただ一人なのだから、ハアレツでもただ一人かもしれず、紙面全体の編集方針はたぶん、かなり違うはずだ。

あるいは、ハス記者は、かつてアメリカにいた「象徴的黒人」のように、「ひとりくらいそういうのを入れておけば、バランスが取れて見えるだろう」という判断で残されている人なのかもしれない。あるいは(これは極端な想定だが)インターネットに出ている英語版とヘブライ語の印刷版とでは内容が全然違うのかもしれない。

ただ、そういうことを勘案しても、イスラエル人を全部一括してある特定の領域に押し込めるというのはちょっと違うんじゃないか、という気がすることは確かだ。イスラエルはけっこう多様な社会なんじゃないだろうか。パレスチナについてスタディしている最中なのだけど、ちょっとそういうことを思った。