ギヴ・ピース・ア・チャンス

冷静になるように努めている。というか、冷静でない状態になる理由はない。自分が攻撃されたわけではないし、友人や知人がそうなったわけでもない。ただ、悲しみのようなものがある。
自分の信念を披瀝しただけなのに、高圧的な押し付けをしているとか、自己顕示に利用しているとか言われてしまっている人がいる。ささやかな日常を愛して暮すことや、国際政治の棚よりも文学の棚に向うことが反道徳的であるかのように言われてしまっている人もいる。

いや、悲しんでいる場合ですらないのだった。僕も、今回一方の側に加担するようなことを言っているし、過去には逆の側のようなことを言ったこともある。おそらく未来にも、どちらかの側に立ってしまうだろう。だから、自戒を込めて言うのだけど、相手方を非難することは誰の利益にもならない。

パレスチナ人でも、イスラエル人でも、まして村上春樹でもない我々にとって、ブログで発信することの意味は同盟者、共感者を少しでも増やすことのはずだ。しかも、誰も戦争がよいとか、文学などなくてよいとかいったような極端なことを言っているわけではない。
なのに、話が進むにつれて双方が頑なになってゆく。中立地点は消滅し、亀裂はどんどん深くなる。それによって得られるものは何もない。むしろ、考えの選択肢が狭まっていくだけだ。

主張とともに自制が求められるのだと思う。ささやかに譲歩し、礼儀正しくふるまっても別に失うものはないはずだ。平和にチャンスを!