28年ぶりの再会

やっぱりすごいなあ、と思う。 この本を何度も何度も激しく読んでいた10-12歳のときに感じていた気持を、また思い出すことができる。手に取るようにできる。そして、いくつかのシーンや登場人物の台詞は、まだ鮮明に覚えている。

ローズマリ・サトクリフは、いわばイギリスの司馬遼太郎というような存在の人で、シェイクスピア以来、J・K・ローリンズに至るまで、歴史小説と児童文学の俊英をキラ星のごとく輩出してきたあの国で、児童向け歴史小説の書き手として名声を博した。

急いでつけ加えておくと、イギリス人は、基本的に子ども向けだからと言って手を抜いたり消毒したりということをしない。なので、サトクリフの作品も、セックスが(あまり)露骨に描写されないことを除けば、大人向けの小説と変りはない。人々は悪意を抱くし、コンプレックスも抱える。陰謀も、根深い敵意も、無意味な暴力もあり、戦闘シーンでは鮮血とともに人が大量に死ぬ。

で、そういう作品がうまいこと岩波少年文庫に入っていたために(編集者が橋下知事みたいな人でなかったのは間違いない)、小学生の僕が学校の図書館で読むことになったわけだ。

ともしびをかかげて〈上〉 (岩波少年文庫)

ともしびをかかげて〈上〉 (岩波少年文庫)

ともしびをかかげて〈下〉 (岩波少年文庫)

ともしびをかかげて〈下〉 (岩波少年文庫)

あらすじの紹介とか、そういうのはしないでおいた方が良いと思うのだが、一応書くと舞台はローマ時代末期のイギリス(というかブリテン)。 最初のほうに次のようなシーンがあり、このあと二転、三転していく主人公の人生が語られる。

「完全にひきあげるのですか? 駐屯軍はそっくり全部?」
「そうだろうな。ローマはたる底をさらっているのさ。われわれは、四百年もいたのだが、出ていく時にはたった三日のうちだ。」
「三日のうちに。」アクイラはいった。ばかが、口まねするな、と思ったのだが、すっかりのぼせて頭がぼけてしまったのだ。
「いまから三晩目の潮時に出港する。」カリストスはちらかった机のところにもどった。「ぼやぼやつっ立っている時間はないぞ。いって軍服にきがえて指揮をとれ。十人隊長。」

正直なところ、この本は万人向けの話ではない。巻末の解説(新装版なので)には「今の人はほとんど読まないんじゃないか」というようことが書いてあるのだが、僕もそう思う。ただでさえ歴史ものというマニア向けのジャンルであるうえ、いかにもイギリス人らしいことに親切な説明がほとんどなく、しかもストーリーが成長・成功物語ではないから全体にテーマが重いのだ。

まあ、そういう所を跳ね返すだけの力のある作品だし(細部の描写なんかは本当に神業だ)、そうであるからこそ感動も深いのだが、上下巻あわせて520ページのうち、500ページは苦痛と苦難がベースの話だと言って過言ではない。結末も、勧善懲悪型のハッピーエンドでは全くない。

だけど、この僕は小学生の時にこの小説に深く感動した。最初はわけもわからずに一回読んで、そのあともう一回読み(ああ、あの頃は500ページの本を二回繰り返して最初から読むという贅沢な楽しみが可能だったのだ!) 、その後は時間を置いて何回も読んだ。

今回は、いろんな偶然があってほとんど30年の間隔を置いて新装判を手にしたのだけど、やっぱり感動した。というか小学生のころにはしなかったことを僕はした。

泣いたのだ。

それは自分でも意外だった。めったにそういうことはないのだが(しかもストーリーがわかっているというのに!)、最後のところでものの見事に泣かされた。やっぱり、それなりに人生経験をしてきたせいなのかもしれない。もちろん落し方があまりに見事なせいもあるのだけど、子どもとして読むのと大人として読むのとではやっぱり違いがある。
それと同時に、自分の価値観、美意識のあり方みたいなものにも、何となく気付かされた。切所に至った時の立ちかた、何を守るかということ、そういうことの判断にこの読書体験は深く影響していると思う。と言って、まあロクでもない大人になっているわけですけど。

とても奇妙な言い方に聞こえるのはわかっているのだけど、この本を再読することは、僕にとっては子どもを持つようなものだった。自分そっくりの少年の気持を追体験し、同時に同じ出来事を大人である自分がどう経験するかを感じる。僕は多分子どもを持つことはないはずだけど、そういう経験ができたことは良かったと思う。サトクリフは本当に色々なものを与えてくれる。

誰にも読まれなくてもいいと思うし、みんなが読んでもいいと思う。とにかく、すごい小説であることは間違いない。


おまけ。

辺境のオオカミ (岩波少年文庫)

辺境のオオカミ (岩波少年文庫)

サトクリフはローマ時代のブリテンを舞台にした作品をほかに三つ書いていて、これは時期的に一番後に書かれたもの(時代はもっと昔なんだけど)。おそらくエンターテイメントとしての完成度は一番上で、比較的軽く読め、しかも格好いい。入門用におすすめ。