紀州徳川家のこと

昨日、「篤姫」で徳川慶福が出てきたからかと言うと全くもってそうなのだが、紀州徳川家のことをちょっと考えた。

大体、僕らの司馬遼太郎的幕末史でいうと、紀州徳川家っていうのは単なる脇役にすぎない。坂本竜馬に海難事故の賠償金を脅し取られる話が出てきて、あと「翔ぶが如く」に元家老の津田出の話がちらっと(それも不名誉な形で)出てきて、それっきりだ。資料を調べると陸奥宗光紀州出身であることがわかるが、これを覚えている人はそうはいないだろう(僕は思いっ切り忘れていた)。

でも、それはちょとアンフェアなのではないか。

そもそも紀州徳川家は吉宗以来、徳川将軍家の血筋をほぼ独占している(御三卿も全部吉宗の子孫だから。15代慶喜だけが水戸系)。それだけでも幕末史の主役級になる資格はあるように思えるが、法福寺隊(日本体育共和軍隊)という、奇兵隊型の身分超越的軍隊を作る人が出て長州征伐で善戦したり、かなり早い時期に藩兵を西洋型軍隊に改編したのが間に合ってこれまた長州征伐でまともにやれてたり(当然だ、当時の将軍家定は紀州家出身なんだから)、維新後は例の津田出が先進的な藩政改革をやってたりと、面白そうなネタはいっぱいある。

にもかかわらず注目度が低いというのは、やっぱり巡りあわせが悪いのだろうか。そもそも、紀伊徳川家は大阪夏の陣のあと浅野家を追い出したような感じで転封してきたから豊臣家・寧々ファンに受けが悪そうだし、紀州の領主ってことで雑賀党ファンにも好意を持たれそうにない。幕末も将軍家とほぼ一体だったから薩長土ファンにも印象が悪いだろう。

というか、そもそも幕末では、曲りなりにも尊皇派だった所以外はダメという話になっているような気がする。慶喜も尊皇で有名な水戸徳川家の出だし、新撰組も最初は勤皇党、会津神道系だ。
そういう「政治的に正し」そうな所ばっかりじゃなく、紀州藩徳川将軍家本流にもうちょっと目を向けても良いような気はするなあ。